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武蔵野台地と湧水102 滝坂の湧水とさまよえる湖ロプノール4

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2019.4.3 武蔵野台地と湧水102 滝坂の湧水とさまよえる湖ロプノール4
 
ロプノールは塩湖だったそうですから、先史時代からこの周辺に住んでいた人たちが使っていた水はロプノールの塩水ではなくタリム川やタリム川に流れ込んでいた雪解け水の真水で、塩はこの塩湖から得ていたということなのでしょうね。ニンゲンは塩と水がなければ生きられませんが、かといって血液の塩分濃度(0.9%)より濃い海水(3.13.8%)や塩水でも生きることはできないのですから。

イメージ 1

 
ロプノールは、紀元前1世紀頃にはまだ大きな湖であったという記録が残されていて、干上がったのは4世紀前後であるとみられているそうですが、周辺からは石器時代の遺物も出ていますし、「楼蘭の美女」が生きていた3800年前にはすでに王国が栄えていたようですし、紀元前から楼蘭はシルクロードの要衝だったのですから、ロプノールは先史時代から4世紀に干上がってしまうまで、気象条件によって大きくなったり小さくなったりはしながらもずっと同じ場所にあったのではないでしょうか。
 
タリム川が干上がったわけではないようですから、ロプノールが4世紀頃に干上がってしまったのは、タリム川が流路を変えたことで流入する水がなくなって蒸発する一方になってしまったからかもしれません。タリム川が流路を変えたことによって真水が失われたために楼蘭は捨てられ、やがて砂に埋もれてしまったということなのではないでしょうか。
 
1921年頃からタリム川が流路を変え始めたことによって元の場所に復活したロプノールは、上流の天山山脈などの降雪・降雨量によって増減を繰り返しながらも20世紀半ばまでは水をたたえていたのだそうですが、タリム川上流にダムが建設されたことなどもあって現在は完全に干上がってしまっているのだそうです。
 
巨大な耳の形をしているというロプノールの跡は航空写真で見つけることができたのですが、楼蘭がどこにあったのか、タリム川はどこをどう流れてロプノールに注いでいたのか、砂漠の中でどう流路を変えていたのかは航空写真では分かりませんでした<(_ _)>
 
紀元前1世紀頃の漢の時代には「縦横ともに300里の鹹湖(かんこ)で、冬も夏も水量が変わらない」と『漢書西域伝序』に記された広大な湖だったロプノールが4世紀に干上がってしまうと、楼蘭を経由するシルクロードのこのルートも捨てられ、唐の時代までには敦煌または少し手前の安西から北上・西進してトルファンを通り、天山山脈南麓のコルラへ出るルートが中心になったのだそうです。
 
ヘディンは「次の大きい周期もやはり1600年続くのであろうか。この疑問に答えられるのは未来だけである」と述べていたそうですが、タリム川の上流にダムが作られたこともあって、下流域はほとんど干上がってしまっているそうですからロプノールが復活することは二度とないのでしょうね。未来から答えを貰う機会は失われてしまったようです。
 

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