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武蔵野台地と湧水103 和光の湧水

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2019.4.4 武蔵野台地と湧水103 和光の湧水 
 
埼玉県の白子の湧水からタクラマカン砂漠のロプノールに飛んでしまいましたが(^o^)、地形の変化にしても人類の歴史にしても、時空がまるでかけ離れていて関連などないように見えても、それらは全く無関係にバラバラに起きていたわけではなく、全ては同じ原理原則、同じ論理的な因果関係によって地球規模で起きていたことなので、部分を論理的に詰めていくと全体に繋がっていくのですよね。
 
部分が全体を作っているのですから「全体は部分の総てに対応している」はずなのですが、『記紀』や『古事記伝』を信奉する歴史学者さんたちが、矛盾だらけの『記紀』の作り話に部分ごとの恣意的で非論理的なつじつま合わせをしてきたために、全体が非論理的で訳の分からないものになってしまっているのが今の「古代史解釈」のようです<(_ _)>
 
けれど論理性より肩書や権威を信じる方々は、学者さんたちの「つじつま合わせの説」の方が絶対的に正しくて、ここに書いているようなそれらを否定するものは「デタラメだ」と頭から決めつけるのですよね<(_ _)>

これは16世紀に地動説はデタラメで天動説が正しいと信じ込んでいた人たちと同じなのかもしれませんね(^_-)。いつの時代も、どの国でも、ニンゲンは同じことを繰り返していたようですから。
 
それはそれとして、武蔵野台地に戻ることにします。
 
埼玉県の武蔵野台地には、白子宿の他にも湧水や湧水公園がいくつもあるようなので、そのうちのいくつかに行ってみました。タクラマカン砂漠については何の知識もないまま資料などから推理することしかできず、それを確かめに現場に行ってみることも、現地で資料を入手することも私にはできないのですが(T_T)、関東地方であればちょっと出かけて行って現場検証をすることができますから\(^o^)/。
 
まず和光駅の北にある「柿の木坂湧水公園」へ。
 
柿の木坂湧水公園 
イメージ 1

ここはハケの下ではなく、20mの台地の上の浅い窪地で、窪地の底に湧水池がありましたが、ここでもやはり端の方にわずかに水がある程度でほとんど乾いていました。
 
湧水池のある窪地
イメージ 2

 窪地の底の池
イメージ 3

湧水 
イメージ 4

水がある時は、湧水は↓から川になって流れ出すようです。
イメージ 5 
この湧水池の周囲でも柿の木坂遺跡・柿の木坂西遺跡などいくつもの遺跡が発見されているようですから、この窪地全体が大きな湧水池だったのかもしれませんね。昭和まで池の周囲は雑木林だったようです。
 
和光の雑木林 
イメージ 6

ここから東にある民家園に向かってしまったのですが、このすぐ先には「新倉ふれあいの森」があって、そのハケ下にも湧水池があったようです。
 
イメージ 7


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