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武蔵野台地と湧水101 滝坂の湧水とさまよえる湖ロプノール3

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2019.4.2 武蔵野台地と湧水101 滝坂の湧水とさまよえる湖ロプノール3
 
タリム盆地はヒマラヤ造山運動に伴って形成されたそうですが、ヒマラヤの形成過程を見ると、タクラマカン砂漠はユーラシアプレートとインドプレートの間にあった海がプレートの力によって押し上げられて砂漠になったもののようです。ここまで考察してきたように、砂漠とはかつて海底だった所なのです。
 
ロプノールは、かつては巨大な塩湖だったそうですが、雨のほとんど降らない砂漠の砂地に巨大な湖が自然にできたはずはありませんし、ましてそれが「塩湖」だったはずもありませんよね。ロプノールが巨大な塩湖だったのは、ソルトレイクやウユニ湖や死海などと同じように土地の隆起と共に内陸に取り残された海だったからでしょう(^o^)。そのうえ流出河川を持たないロプノールは、周辺から流入してきた塩分も全部ため込んでいたのでしょうね。
 
砂漠は極端に雨が少ないため、かつてはタクラマカン砂漠の全体を占めていた巨大な塩湖(古代の海)は蒸発などによって長い年月の間に徐々に縮小して砂漠化していったのだろうと思いますが、水は蒸発しても塩は残りますから、濃縮された大量の塩は、かつてのロプノールの湖底の下でサハラ砂漠のタウデニ塩床のような岩塩の層になっているのかもしれませんね。
 
サハラ砂漠・マリのタウデニ塩床 
イメージ 1

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板のようなマリの岩塩
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ところで新元号が「令和」に決まって、昨日から関連のニュースが流れ続けていますが、「万葉集」「梅花の宴」「坂本八幡」「大伴旅人」などという言葉が聞こえてきたので「あれ?それって去年行った大宰府の坂本八幡のことかな?」と思ったらやっぱりそうでした(^o^)
 
坂本八幡
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私は、「遠の朝廷(とおのみかど)」とは役所ではなく文字通りの「朝廷」で、天津族の東征前の朝廷は大宰府にあったと考えていたので、この神社が大宰府の政庁跡のすぐ近くにあること、その東は旧小字名が「内裏(だいり)」であり、近くには「紫宸殿」の小字名もあるらしい(これはどこか確かめられませんでしたが)ことなどから、この神社は古代史と何か深い関係があるはずだと考えて調べてみたのですが何も分かりませんでした<(_ _)>
 
そこで、実際に行ってみれば何か分かることがあるかもしれないと思って去年行ってみたのですが、由緒には知りたいことが何も記されていなかったのでがっかりしてしまったのですよね(T_T)
 
由緒
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資料の「梅花の宴」の説明にも大伴旅人の家がどこにあったのかは記されていなかったのですが、坂本八幡が「梅花の宴」が開かれた大伴旅人の邸宅跡だったようです。今朝のニュースで大宰府の市長さんが5.1の改元に間に合うように石碑か記念碑を建てたいと言っていましたが、そこにはこのことも記されるのでしょうね。
 
 

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