「スヴェン・ヘディンは、タリム河とは約1600年周期で下流が南北に振れる川であり、ロプノールとは川の流れの変動に伴って移動する湖であるという大胆な仮説を提唱し、これが定説となった」ということなのですが、1901年にはラクダで旅をした砂漠の同じ場所が1934年にはカヌーで下れる川になっていたというのはなんだか計算が合いませんよね~<(_ _)>。 その間にはたった33年しか経っていませんし、流れを変え始めたのが1921年頃だとすると1600年どころかわずか13年で元に戻ったということになってしまうではありませんか。
どういうことなのだろう?と調べてみると、ヘディン自身が「1600年周期」と述べたことはなく、著書にも記されてはいないそうです。ヘディンは「タリム川の水は、いつかきっとロプノールに戻って来る。その時がくれば湖が移動する周期の長さもわかるだろう」と予言したのだそうで、堆積や侵食といった原動力によってそのような大きな変化が起きるまでには「何千年はおろか何万年もかかると見ていた」ことが、『さまよえる湖』の中に記されているそうですが、その予言からわずか20年後に、4世紀に干上がったロプノールがもとの場所に戻っていたため、「1600年周期説」が独り歩きを始めてしまったということのようです。
ヘディン自身は「今回はたまたまおよそ1600年で起きたが、過去のことはわからないし、未来も必ず同じ周期とは限らない、この次にどこへ移動するかも確たることは言えない」と記し、「今始まった周期の長さについては、一切の予断をひかえるのが最良である。紀元330年に川と湖がその川床を捨てる前に、何百年の間楼蘭の近くにあったのか、私たちには分らない。次の大きい周期もやはり1600年続くのであろうか。(中略)この疑問に答えられるのは未来だけである」と述べていたそうです。
ヘディンは、その時たまたま遭遇したたった1度の現象から安易に「1600年周期で起きると考えてよい」などという説を発表したわけではなく、非常に論理的で厳密な考察をしていたわけですが、それにもかかわらず1950年代には「1600年周期説」がすでに定説のようになっていたのだそうです。
「1600年周期説」はヘディンではなく、ヘディンの仮説を知った誰かが言いだしたことのようですが、それを後の人たちが検証もせずに「既定の事実」と思い込んだために、ヘディンの仮説や考察を都合よく曲解した「1600年周期説」が定説化したということのようですね<(_ _)>。
検証もせずに誰かが言ったことをそのまま事実や定説としてしまうというのは、例えば本居宣長の『古事記伝』を歴史学者さんたちが検証もせずに事実や定説としている「古代史解釈」と全く同じですね(^_^.)。「武蔵野は多摩川が削ってできた」とか、「フォッサマグナ(地溝帯)は地面が落ち込んでできた」などという説も検証されないまま受け売りされてきたということでは同様のようですが<(_ _)>。
1980年に放送された『NHK特集 シルクロード -絲綢之路-』の『第5集楼蘭王国を掘る』でも同様の解説がなされていたとのことですから、当時この番組を見た多くの人たちは「1600年周期説」をヘディンが発見した事実であると信じてしまったのでしょうね<(_ _)>。
さらに1990年に上梓した岩波文庫版『さまよえる湖』で、この本の翻訳者が「訳者あとがき」に本文中には存在しない「1600年周期」という言葉を使い、本のカバーのキャッチコピーにも「1600年周期」と印刷されていたことでこの本を読んだ人々の間にも「1600年周期説」が定着してしまったようです<(_ _)>。