白子熊野神社の境内の富士塚はびっくりするほど大きくて立派だったのですが、白子宿は江戸近郊で、清冽な湧水の池や滝があちこちにあって台地の端からの眺めもよく、豊富な湧水を利用した造り酒屋もあったようですから、人気の行楽地だったのかもしれませんね(^o^)。
白子熊野神社の富士塚
熊野神社の左側には清滝不動院があって、
ここには富士山の溶岩を使った胎内巡りのような大きな洞窟が造られていましたから、旅人や参詣者ばかりではなく、物見遊山の行楽客も多かったのでしょう(^o^)。
洞窟入り口
洞窟内に祀られている白菊稲荷
洞窟出口
清滝不動院の扁額は桂太郎総理大臣の書だそうで、
桂太郎総理大臣も乃木将軍も日露戦争の時、ここで滝行をしたのだそうです。
これを見て、その滝はどこにあるのだろう?と探したのですが境内には滝も川も見当たらなかったので<(_ _)>、「白子宿の熊野神社境内の湧水」とはいったいどこのことなのだろう?」と不審に思ったのですが、明治時代には総理や将軍が戦勝祈願の滝行に来たほどの湧水があったようです。
囲いがあって中は見えなかったのですが、清滝不動院の崖の下の、↓の写真の右下の幟がある所に滝と滝壺(池)があったのかもしれません。この崖の下には少しですが水が流れていましたから。