Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

武蔵野台地と湧水86 矢川弁財天 

$
0
0
2019.3.16 武蔵野台地と湧水86 矢川弁財天 
 
武蔵野台地と湧水に戻ります。
 
「善福寺川の源流は町中にある」ということへの驚きと好奇心から始まった湧水探訪からは遺跡と湧水の関係などいろいろなことが分かってきました。
 
湧水と地層の関係など全く知らず、古代史への関心もなかった頃から私は湧水のある場所の景色に惹かれていたようで、当時は意識していなかったのですが、一番気に入っていた野川公園など、休みの日に出かけていた庭園や公園は、みな湧水のある(あった)場所だったことが今になって分かりました。湧水が武蔵野の川の源流だと知って源流探訪を始めてみたら、それらのほとんどは今まで行ったことのある場所だったのです(^o^)
 
2015年に国立市の資料館に行った時、途中で矢川弁財天に立ち寄ったのですが、谷保天満宮からずっと起伏のない平らな道を走って来たのに、矢川弁財天の所では自分が高い所にいて神社が低い所にあることに気が付いて驚きました。地図では道路のすぐ横に神社があるはずだったのですが、実際には道との間に大きな高低差があって直接には行くことができなかったのです。その時はまだ湧水と遺跡や地形との関係には気付いていなかったので、どうなっているのかよく分からないまま回り込んでやっと神社に辿り着けたのですが・・・・
 
先日、ママ下湧水は矢川に流れ込んでいて、その矢川の源流は矢川弁財天の池の辺りにあるようだということや、その周辺には湧水が多く、その湧水群の周辺には旧石器時代からの遺跡がたくさんあることや、湧水のある一帯は「矢川緑地」として保存されているということが分かったので、改めて行ってみることにしました。
 
道より低い所にあった矢川弁財天
 
イメージ 1

ずっと平らな道を走って来たのに、ここではいつの間にか地面より高い写真奥の壁の上を走っていて、神社は下の方にあったのです。

イメージ 2

 
2015年には、神社を探して神社があるはずの道の右側ばかりを見ていたので気が付かなかったのですが、改めて行ってみたら、道の左側も低くなっていたので、いつの間にか道が上がったのではなく、この辺りでは土地の方が低くなって窪地になっていたのだということや、この道の右側が矢川弁財天で、左側が湧水群のある「矢川緑地保全区」だったことが分かりました(^o^)
 
走っていた道はこの窪地を横切る「みのわ通り」で、神社や緑地へは、この道から階段で降りていくようになっていました。
 
緑地への階段
イメージ 3

 
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles