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コメントへのお返事

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2019.3.15 コメントへのお返事
 
昆支(こんき)が応神天皇であると推理された根拠を教えて頂けないでしょうか。記紀の謎を解く上で取っ掛かりとなる重要なジグソーパズルのピースだと思うのですが。また他にも考えの糸口となっているピースもあれば教えて下さいませ。物理の“光速度不変の原理”ように推論の確かな出発点を知りたいです。また“応神天皇/昆支説を唱えている学者はおられるのでしょうか。(古代の地形から記紀の謎を解くは読ませていただきました。) 
2019/3/14() 午後 8:12 [ kojita ]
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おっしゃる通り、本居宣長やその後継者の歴史学者さんたちの「作り話の荒唐無稽なつじつま合わせの解釈」によって謎だらけになってしまっていた古代史の謎を解き、ジグソーパズルをまともな絵にするためのキーとなったピースは、「応神天皇とは昆支(こんき)のことである」ということが分かったことでした。
 
以前にもお返事に書きましたように、私は歴史には全くの素人で、「日本史村」とは何なのかも、kojitaさまがコメントにお書きくださった学者さんたちのお名前も全く知りませんでした。ですから「“応神天皇/昆支説を唱えている学者」がいるのかどうかも知りません。
 
どのような推理をしたのかというのは、このブログ全体がそうなので一言では言えませんが、根拠は「『記紀』の記述や歴史学者さんたちの解釈は矛盾だらけで整合性がなく、全く納得できない」ということでしょうか(^o^)
 
例えば『記紀』は、応神天皇は息子のウジノワキノイラツコの教師として百済から王仁吉師(わにきし)を招聘し、王仁吉師は千字文を携えて来日したと記しているようですが、千字文が作られたのは6世紀の初めであって、『記紀』の記すウジノワキノイラツコの時代(4世紀)にはまだありませんから、これは「ウジノワキノイラツコとその父の応神天皇が4世紀の人」だということがウソなのか、「王仁吉師が千字文を携えて来た」ということがウソなのかどちらかだということになりますよね。
 
また昆支(こんき)は21代蓋鹵王(余慶)の弟の「余昆」で百済の王子であり、王仁吉師(わにきし)も百済の王子と記されていること、百済王家は「くだらのこにきし」家であることなどから「支(き)」や「吉師(きし)」は百済の王族の称号のようなのですが、それでは日本の応神天皇の息子の教師がなぜ百済の王子なのか、どうして百済の王子を息子の教師として日本に呼び寄せることができたのかというような矛盾や疑問について一つ一つ納得できるまで論理的に考えてみたのです。
 
kojitaさまは『古代の地形から記紀の謎を解く』をお読みくださったそうですが、あの中にはその推理の過程が記してあります。物証としては隅田八幡の銅鏡の銘文や、七支刀の銘文や、仁徳天皇陵とされている大山古墳の築造時期は『記紀』が「架空の仁徳天皇が在位したと記した4世紀」ではなく6世紀の初頭であることや、盗掘されて流出した大山古墳の副葬品と百済の武寧王陵の副葬品との類似などがありますし、応神天皇の年代については「倭の五王を推理する」や巻末の年表をご参照ください。『記紀』はなぜ応神天皇に関してウソばかり記したのかという疑問が謎を解く取っ掛かりだったかもしれません。
 
取っ掛かりとなったピースといえば、『記紀』やその解釈は論理的に納得できなかったということの他に、「普通の常識や感覚」でもとても納得できなかったということがあります。
 
一例をあげると、雄略天皇は「大悪天皇」とされ、『日本書紀』での記述は「殺人の行跡に満ち、あとは性交についての露骨なことがらが多い」そうですが、
普通先祖について書き記す時、実際以上に美化して書くことはあっても露悪的なことを書いたりはしないはずですし、ましてこの場合は天皇家の先祖をけなしていることになりますよね。
 
例え実際には大悪とされるような所業をしていたとしても、「何よりも先祖を大事にする儒教」の時代に『国の正史』として編纂されたものに、実在の天皇の悪行を強調するようなことを書くことなどあり得なかったはずです。「大悪天皇」などと書けたのは、雄略天皇が架空の人物であって、その内容が作り話だからでしょう。
 
その大悪天皇を描く小説『ワカタケル』は、『記紀』の作り話に沿った荒唐無稽なオハナシを日々展開しているのですが、昨日は吉備の反逆者と戦うという場面で、女の霊力の戦いをするとして「敵と川を挟んで高い櫓を作り、その上に大后が上って白装束の前を捲ってホトを剥き出しにして相手に見せつけた」とあったのですが、大后(皇后)が衆人環視の中でそんなことを実際にしたと思いますか?あり得ませんよね。『記紀』にはそう書いてあるのかもしれませんけれど・・・・
 
『記紀』には「ホト」という言葉や上記のような場面がたびたび出て来るようですが、これを書いた人たちや、それを信奉する歴史学者や小説家は、「ホト」という言葉やこの手のオハナシがよほど好きな人たちのようです。
 
 
 
 

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