私は「山王窪」も「築樋」もこれまで全く知らなかったので<(_ _)>、それはどんなものなのだろう?と調べていたら、「三億円事件」という言葉が出てきました。山王窪はこの事件と何か関係があったようなので、どのような関係があったのか、「三億円事件」について調べてみました(^o^)。
1968年12月10日に東京都府中市で発生したこの三億円の窃盗事件は、1975年(昭和50年)12月10日に時効が成立して未解決の完全犯罪になってしまったということなのですが・・・・
事件は府中刑務所裏の府中市栄町の学園通りで起き、擬装白バイに乗った偽白バイ隊員に3億円の現金を輸送中のセドリックが奪われたというものですが、その後、このセドリックが国分寺市西元町3-26の国分寺史跡七重の塔近くのクヌギ林に乗り捨てられていたこと、事件直前にここで濃紺のカローラが目撃されていて、犯人はここでカローラに乗り換えて逃走したこと、4か月後にこのカローラが小金井市本町の団地駐車場に乗り捨てられていたことなどが分かり、車の中に残されていた空のジュラルミンケースに付着していた泥を分析したところ現場から4km離れた国分寺市恋ヶ窪の雑木林の土壌に近似していたため、恋ケ窪付近にアジトがあるのではないかと見られたのだそうです。
このカローラが乗り捨てられていたという小金井市本町の団地駐車場というのが山王窪だったのですね。
で、私が興味を持ったのは、この犯人が前もって逃走用の盗難車を用意しておいた場所や乗り捨てた場所なのですが、実は私は古代史の謎解きに興味を持つようになってから初めて府中に武蔵国の国府があったことを知って、府中→国分寺跡→恋ヶ窪→山王窪という順番で行ってみたので、偶然とはいえまるで50年前の事件現場をトレースしていたみたいだと思ったのです(^o^)。
私が行ったのはせいぜいここ10年前後のことですから、国分寺跡は史跡公園としてすっかり整備されていましたし、
2014年の国分寺跡
金堂跡
恋ヶ窪にもアジトになりそうな雑木林などはなく、電車が次から次へと走っていましたが、事件の起きた50年前は、今とは全く様子が違っていたのでしょうね。
2014年の恋ヶ窪
地図
江戸名所図会に描かれた「恋ヶ窪」
恋ヶ窪用水保存用地
50年前は↑のような雑木林が一帯に広がっていたのかもしれません。
私は自分が地理音痴でその辺りのことを全く知らなかったこともあって、逃走用の盗難車を用意しておいたり、その車を乗り捨てたりするのにそういう場所を選んだ犯人は、よほどその辺りの様子や道路や地理に詳しい人だったようだと思ったのですが、もう一つ、そういう遺跡のある場所をよく知っていたということは、歴史や考古学に興味があってそれらの場所をよく歩き回っていたか、発掘や調査に参加したことのある人だったのではないか?と思いました。関心のない人は普段そういう場所にはあまり行かないでしょうから(^o^)。
シャーロック・ホームズだったら犯人像のプロファイリングに石器や土器の蒐集家というような視点も加えていたかもしれませんね(^_-)。
もしこの犯人が犯行当時20代だったとしても、もう70代になっているわけですが、犯人はその後どういう人生を送ったのでしょうね?まだ生きているのでしょうか?