「馬の背」とは何のために造られた土手なのかを知りたくて土手に上ったのですが、そこには何も説明がなかったので、東にある学校の辺りまで行けば何か説明があるのではないかと思って、土手の上を東に向かってみました。
土手のどちら側にも川はありません。
地図を見ると、この時西に向かっていれば馬の背の下をくぐる石神井川が見えたようなのですが、その時は、石神井川は東に流れていると思っていて、北に流れていることを知らなかったのです<(_ _)>。
土手に接してあった向台小学校は窪地の縁にあるようで、その辺りから道は平らになって土手もなくなっていたのですが、
そこにも馬の背の解説板は無かったので、さらに東に行ってみると四阿があってそこに解説板がありました。
この土手は、西の村山浄水場から東の境浄水場に水を送るための水道施設で、この窪地を越えて向こう側に水を渡すために、低くなっている所を嵩上げするために造られたものだったのですね。水は一度低い所に落ちてしまうと高い所に戻ることはできませんヵら。
地図の「馬の背」には何本もの線が引かれていてどうなっているのかが分からなかったのですが、土手の水道管の上は散策路の「狭山・境緑道」、土手の下は10km以上続く直線道路の「多摩湖自転車道」になっていて、たくさんの線はこれらの道と土手に上り下りするための道だったようです(^o^)。実際に見てみればすぐに分かることってたくさんあるので、実地検証は机上のつじつま合わせの空論よりもずっと有益だし面白いのです(^_-)。
この道を地図で辿ってみたら、確かに村山浄水場から境浄水場までほぼ直線の道路になっていました。この自転車道は、窪地以外では水が滞りなく流れるように西から東に向かって少しずつ下っているほぼ平坦な道なのでしょうね。標高を調べてみると比高差は20mのようです。
玉川上水が、下高井戸の辺りでは両側の家よりも高い所を通っていたことを思い出しました。今も昔も水を流す方法は同じですね(^o^)。水は低きにしか流れないのですから。
芝久保はどの範囲のことなのか、この馬の背が築かれている窪地も芝久保なのかどうかは分からなかったのですが、鈴木小学校から東に流れてきていた石神井川は小金井公園の二つ池の先で北に流れを変えて馬の背をくぐっていますから、土地は北に向かって下がっていっているようです。芝久保はやはり窪地のようですね。地形図で等高線を調べればわかるのでしょうけれど。
馬の背の土手は、窪地の縁に近いなるべく浅い所を通しているのだろうと思うのですが、それでも一番低くなっている所ではかなりの高さまで築き上げなければならなかったようです。