小金井公園の二つ池の辺りは、昔の武蔵野台地ってこんな風に雑木林の中のあちこちに湧水池があったのだろうな、と思うような景色でした。たまたま前日に雪が降って寒かったので、公園の一番奥の林の中にはほとんど人がいなかったからかもしれませんけれど(^_-)。
奥のフェンスのすぐ外に石神井川の水路があり、この池からの水も合流しているようでしたが、やはり流れている水の量は多くはありませんでした。
出かける前に地図を見て、そこには川が流れていて湧水池があるのだからその辺りは谷か窪地なのではないか?と考えたのですが、標高を調べてみるとそれほど大きな高低差はないようです。
けれど、公園の北には「芝久保」という地名がありますし、その手前は向台という地名なので、向台は高台で「芝久保」は窪地だったのだろうと考えたのですが、平面の地図からはそれ以上のことは分からなかったのでここにも行ってみることにしました。
地図では公園と芝久保の間には「馬の背」というものがあって、土手のようなものらしいのですが、なぜここに土手があるのか、「馬の背」を挟んだ公園の湧水池の辺りも含めて「芝久保」という大きな窪地だったのか、それとも「馬の背」の向こう側が「芝久保」という窪地だったのかと考えながら「馬の背」の方に向かってみると、道の間から高い土手が見えました。
まるで江戸川や鬼怒川の土手のようだと思ったのですが(^o^)、石神井川はこの辺りではコンクリートの水路になっていてほとんど水量もないのですから、いったい何のための高い土手なのかが分からず<(_ _)>、何か解説板があるのではないかと土手に上ってみたのですが、上ってみると土手の両側は道や住宅で川はなく、解説板もありませんでした。
上った所が土手が一番高くなっている所だったようで、土手の下の道は西にも東にも上り坂になっていて、それにつれて土手は低くなっていき、両端ではなくなっていました。「馬の背」は窪地に造られた土手のようです。
たまたま土手が見える辺りに時間貸し駐車場があったのでそこから「馬の背」に向かったのですが、そこが窪地の一番低い所で土手が一番高くなっている所だったようです。