鈴木遺跡で、3万年前の旧石器時代には、現在は鈴木小学校になっている窪地に湧水池があって石神井川の源流になっていたけれど、縄文時代にはその湧水は枯れしまって、石神井川の源流と集落は1kmほど東の小金井カントリーや小金井公園の辺りに移っていたらしいことと、小金井公園に「石神井川上流端」の表示があることが分かったので、それを探しに行ってみました(^o^)。
小金井公園の裏に回ると、水路と橋があって、確かにそこには「石神井川上流端」と記されていて、水路には水がチョロチョロと流れていました。
「石神井川上流端」
公園北橋
でも、この橋から下流は開渠になっていますが、橋から上流は暗渠になっていて水路はもっと西から続いているようです。
北橋の西(上流)側
北橋の東(下流)側
開渠の水路には水が流れていたので暗渠を西の方へ遡ってみると、嘉悦大学の門とフェンスがあってその先には行けなくなっていました。
門
フェンスのこちら側は暗渠になっていますが
フェンスの向こう(構内)側は開渠になっていて、川の跡が見えているのですが水は全くありません。
それでは北橋の辺りをチョロチョロと流れている水はどこから流れて来ているのだろう?と見回すと、水路の右側の塀の向こうは小金井カントリーでした。このゴルフ場の中には池がありますから、その池は湧水池で、水はその池から流れてきているようです。
ゴルフ場の池を確かめることはできませんでしたが、嘉悦大学の敷地内の河道には全く水が流れていないのですから、この水はゴルフ場から来ているもので、流れ続けているということは池は湧水池なのだろうと思います。
橋を渡って公園に入ってみると、雑木林の中に大きな池がありました。「石神井川上流端」の表示はゴルフ場とこの池の中間に立っていましたから、ゴルフ場の池と公園内のこの池が源流だということのようです。
ここではわずかな水しか流れていませんでしたが、水路は広くしっかりと作ってありましたから、ここも以前は大雨のたびに氾濫し、今でも「さいかち窪と黒目川」と同じように大雨が降ると水位が上がって激しい流れになるのかもしれませんね。