2019.1.7 武蔵野台地と湧水24 池と湧水
去年の12.10に武蔵野台地の標高50m付近には「宙水」というものがあったことを知って、これまで疑問に思っていたことがいろいろ解決してきました\(^o^)/。
今は公園になっている大名や財閥の庭園で大きな池を見るたびに、いったいこの大量の水はどこから来ているのだろう?なぜなくならないのだろう?と不思議に思っていたのです。でもその時にそう思うだけで、すぐに忘れてしまっていたのですが(^_^.)。
もし自宅の庭に池を作ろうと思ったら、ただ穴を掘って水を入れたのでは、水は土に沁み込んでなくなってしまいますから、コンクリートで池の形を作って水を入れますよね。でもそのままではやがて土や枯葉などが池の底に溜まってヘドロのようになってしまいますし、水はだんだん蒸発してなくなってしまいます。それなのにコンクリートなど使っていない昔からある池はなぜ水がなくならないのだろう?池の水はなぜ腐らないのだろう?と不思議に思っていたのです。
台地の下や低い所には水が湧いているとしても、台地の上にある池にはどこから水がきているのかが分からなかったのですが、水源は宙水だったのですね。なんで?という疑問を持ち続けていれば、いつかは答えが見えてくるようです\(^o^)/。
石神井公園の駐車場の近くに「記念公園」という区画があって、そこにも池があるのですが、ひょっとするとあの池も武蔵野台地の宙水からの湧水だったのではないか?と考え、確かめに行ってみました。
記念庭園の池
一回りしてみると↓から水が流れ出していました。ここから宙水が湧き出していたようですが、湧水が枯れた今は、ここも地下水をくみ上げて流しているのでしょうか?
先日「小学校のプールの水栓を19日間閉め忘れて水道代が116万円になってしまった」というニュースがありましたが、その金額を見れば、池のために水道水をエンドレスで流しっ放しにすることなどできないでしょうから(^o^)。
以前ここに行った時には駐車場の方から入ったので、何の記念なのかが分からず、誰かの邸宅の跡なのかな?と思ったのですが、一回りしてみたら道路側に説明がありました。
ここは地元の資産家だった豊田銀右衛門によって大正の初めに作られた「第二豊田園」という庭園だったそうで、当時は石神井の名所となっていて「武蔵野鉄道唱歌」の歌詞にもなっていたそうです。
駅の南に豊田園 此処ぞつつぢの遊覧地 となっていますね(^o^)
園内にはまだ赤いモミジが残っていましたが、このモミジはここが観光庭園だった頃のものでしょうか?
ボート池の向こう側の高台には「第一豊田園」が作られていたそうですが、三宝寺川をせき止めてボート池が作られたのは1933(昭和18)年ですから、豊田園が作られた大正初めにはボート池は三宝寺川の流れる水田で、豊田氏はこの水田を挟んで両側の高台一帯の所有者だったようですね。
池の向こうは、現在は住宅地になっています。