井草八幡のすぐ北には井草川の源流となっていた湧水があり、少し南西に下った所には善福寺川の源流となっている武蔵野三大湧水の一つの善福寺池があるのですから、この辺りは本当に湧水が豊富で住みやすい所だったようで、井草八幡の境内付近からも縄文時代の住居跡や土器等が発見されているそうです。
顔面把手付釣手形土器
この土器の内側には火をともした痕跡があるそうですから、ランプだったのでしょう。デザイン的には以前山梨や長野で見たものの方がしゃれていたような気がしますが(^_-)。
井戸尻遺跡の釣手形土器
塩尻遺跡の釣手形土器
八ヶ岳南麓の縄文遺跡は縄文中期中葉を中心としたもので、藤内式や井戸尻式と呼ばれているそうですが、人面付の土器も多数ありました。およそ5000年前から4000年前の縄文時代(新石器時代)中期の土器2000点余を収蔵する井戸尻考古館の土器の展示は質・量・デザインともに圧巻でした。
様々なデザインのたくさんの土器や装身具類を見ると、縄文時代の人々は私たちが想像するよりずっと豊かで生活を楽しんでいたのかもしれません(^o^)。
日本には弥生人が結核菌を持ち込むまで結核菌はいなかったそうですし、アメリカやオーストラリアには大航海時代にヨーロッパ人が持ち込むまで、天然痘・インフルエンザ・麻疹・腸チフス・チフス・水疱瘡・百日咳・結核・梅毒などの病原菌はいなかったようです。
平均寿命は今よりずっと短かったようですが、旧石器時代~新石器(縄文)時代には病原菌による感染症で死ぬ人はいなかったようですね。インカの民は16世紀にヨーロッパ人がアメリカ大陸に持ち込んだ天然痘によって、わずか数年で人口の60%から94%が死んでしまったのだそうですが、現代社会と接触したことがなく、現在も石器時代のままの生活をしているというアマゾンのイゾラド族も感染症とは無縁だったようで、不用意に現代人が接触すると絶滅してしまうかもしれないのだそうです。
インドの北センチネル島で旧石器時代と同じ生活をしているというセンチネル族や、全世界にまだ100以上も存在すると言われている未接触部族も同じなのでしょう。医学の発達は病原菌や感染症が増えたことの裏返しで、彼らには医学も医者も必要なかったようです。