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水上石器時代住居跡15 群馬の海と塩

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2018.11.10 水上石器時代住居跡15 群馬の海と塩
 
地図を見ると、山中地溝帯の通る上野村には「塩の沢温泉」と「浜平温泉しおじの湯」という二つの温泉があります。山中地溝帯は海だったのですから、これも塩湯なのではないかと考え、この10月に日帰り強行軍ではなく、1泊で出かけて周辺をじっくりと見てこようと思ったのですが、この秋は週末には毎週のように大きな台風が来ていたのですよね<(_ _)>
 
「しおじの湯」は日帰り温泉だということなので、「塩の沢温泉」に泊まってみようと思ったのですが、台風さなかに行っても・・・と台風の進路をチェックしながら迷っているうちにホテルが満室になってしまったので(T_T)、急遽日帰りの藤岡市探訪に切り替えることにしました。藤岡市には古墳がたくさんありますし、ここにも塩湯なのではないかと気になっていた所あったので(^o^)
 
実は以前、本庄児玉から十国峠に向かった時、途中で「宇塩川」と「八塩温泉」の表示を見て、ここも海だったのではないかと気になっていたのです(^o^)。藤岡市には巨大な前方後円墳や八角形墳などの古墳がたくさんあって、王族が船で来ていたのは確かですし、本庄児玉と八塩の間の神川町には金鑽かなさな)神社」があって、この神社は古代には武蔵国二之宮だったのですし、八塩の先の神流町恐竜センターの辺りは海だったことは分かっているのですし・・・・
 
武蔵国二之宮だった金鑽神社
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現在の二之宮はあきるの市の小河神社で、金鑽神社は五之宮になっているのですが、途中で勢力図が変わってしまったのは、地形の変化によってここが内陸の船の便の悪い場所になってしまったためであろうと思います。
 
そこで藤岡では、いくつかの古墳や神社や埴輪窯跡などを回った後、気になっていた八塩温泉に行ってみることにして、「八塩温泉」の表示が出ていた道の方へ上っていったのですが、旅館らしいのものも温泉街らしいものもありません<(__)>。八塩温泉はどこにあるのだろう?と思ったら、「桜山温泉絹の里」という建物があって幟がたくさん立っていたのでここなのかな?と入って行ってみると、そこは日帰り温泉施設だということだったのですが、レストランもあったので、そこで昼食にすることにしました。
 
今「八塩温泉」を調べてみたら、
 
温泉宿が三軒あるほか、すぐ近くに日帰り温泉施設「桜山温泉絹の里別邸」がある。各施設が比較的離れて建っているため温泉街は形成していない。
 
のだそうです。
 
レストランで「この八塩は塩と関係があるのですか?」と聞いてみると、「今はもう味がしないのですが、以前はお湯がしょっぱかったそうです」とのことでした。予想通り八塩の湯は「塩湯」で宇塩川は「塩川」であり、そう遠くない頃まで塩があったようです(^o^)。

やはり「塩」の地名が付く所は「塩」があった所のようですから、塩ノ沢温泉と浜平温泉しおじの湯も多分塩湯だったのでしょう。山の中の地名が「浜平」というのも不自然ですしね(^_-)
 
旧石器時代から人が住んでいた群馬には、塩も塩湯もたくさんあったようですから、水上石器時代住居跡のある「大穴」の地名は、塩泉の湧く大きな穴「塩壺」があった場所のことで、この住居跡はここで塩作りに従事していた人たちか、塩壺を守っていた人たちの住居だったのかもしれませんね。ここでは3軒しか住居跡が見つかっていないそうですが、下流の月夜野には大きな集落があったようですから。
 
塩壺(塩泉)はそれを守るために城が築かれたほど大切なものだったようです。

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