2018.11.11 日本の塩
塩と言えば、岩塩も塩原も塩湖もなく、3.5%という薄い濃度の海水から塩を作るしかなかった日本では、塩を作るのは重労働だったのですよね。
今度の朝ドラでも、戦後に塩が手に入らないため塩気の薄いラーメンを食べた主人公が、自分たちで海水から塩を作ろうと思いつく場面があったのですが、15人の人を雇って丸一日をかけてバケツで海水を汲み上げ、並べた鉄板に流して濃縮し、それを煮詰めてできあがった塩の量のあまりの少なさにこれでは商売にならないではないか、という場面がありました。
塩分の薄い海水から塩を作るのは、それほどに大変な効率の悪い重労働なのですが、岩塩なら掘り出すだけ、塩原なら結晶した塩を掬ったり固まった塩を切り出したりするだけで、濃縮された塩湖からなら、例えば死海の塩分濃度は30%だそうですから、海水から得るより少ない労力で大量の塩を得ることができるのです。
マリの砂漠から切り出された岩塩
ポーランドの岩塩
標高3700mのウユニ湖から掬い取られた結晶したての湖塩
鹿塩村では、塩壺の塩水は煮物・漬物や味噌・醤油の醸造などに使われていたそうですから、この塩泉の塩水は、海水よりずっと濃度が濃かったのではないでしょうか?
もし鹿塩の塩湯が海水と同じであったなら、ラーメン屋さんは海水でラーメンを作ればよかったということになりますが、日本でも、海から遠く標高の高い山中の「塩壺」に湧いていた塩湯は岩塩の溶けたもので、海水よりもずっと濃度の濃いものだったのではないかと思います(^o^)。
今の鹿塩の塩湯は海水と同じくらい、会津の塩湯の塩分濃度は1.2%くらいで、八塩の湯はもう塩味がしないそうですが、縄文時代からずっと塩湯を湧き出させていたのですから、塩湯の湧く場所には相当な量の塩の層(岩塩?)があったのではないでしょうか。
↑には「鹿塩の塩水の出所は不明」だと記されていますが、「無から有は生じない」のですから、塩は太古の海の跡で初めからここにあったのだろうと思います。そして、その塩分濃度が徐々に薄くなってきているのは、その塩分が太古の海に由来するもので、有限だからでしょう(^o^)。