学者さんたちが「地面が落ち込んでできた地溝帯」だとしているものは、海の跡なのではないかと考えたので、「山中地溝帯」を埼玉・群馬から長野まで辿ってみたいと思い、ルートを地図で調べてみると、山中地溝帯を通る道は埼玉県の小鹿野町から志賀坂峠を超えて群馬県の神流町に向かい、そこから「西上州やまびこ街道」となって上野村に向かい、上野村からは「武州街道」となって十石峠を越えて佐久穂町の「海瀬」に向かっていました。
この道は、今は標高780mの志賀坂峠や1351mの十石峠を越える山道なのですが、起点の埼玉県秩父郡小鹿野町はパレオパラドキシアやチチブサワラや貝などの海の生物の化石がたくさん出ているところで、古代には古秩父湾の海辺だったことが分かっていますし、秩父盆地もかつては海だったことが分かっているのですよね(^o^)。
古秩父湾
海・古秩父湾の証人
パレオパラドキシア
それならアンモナイトや貝類の化石がたくさん出るという山中地溝帯は古秩父湾から長野県佐久郡海瀬まで続いていた海で、「海瀬」は文字通りの海瀬で小海は海だったのではないかと考えて去年確かめに行ってみたのですが、山中地溝帯を通る299号線は、冬季は通行止めになってしまうような山道で、行ってみても現状だけを見たのではとても海だったとは思えませんでした(^o^)。
さざなみ岩があったのは、神流川の近くではありましたが↓のような山の中でしたし、
十石峠から見えるのは山また山でしたし。
けれど現状がどうであっても、学者さんたちが何と言おうとも、アンモナイトが生きていた時代にはここは間違いなく海だったのです。アンモナイトや貝類が山の上に生息していたはずはないのですから(^_-)。
去年上野村から佐久穂町まで行ってみたことで、2009に探しに行った「八ヶ岳高原の海」にやっとたどり着くことができたのですが\(^o^)/、気が付いたら、この海を確かめるために、埼玉県小鹿野町から長野県茅野市まで299号線の全行程を走破していました(^o^)。