大鹿村の塩の里にあった資料を見直してみたら、↓のようなパネルがありました。
現在は海のない県である埼玉・群馬から、やはり海のない県の長野の佐久」まで続く「山中地溝帯」というものがあることを2015年に埼玉県秩父郡小鹿野町の化石館で知ったのですが、学者さんたちはこれを「地面が落ち込んでできた地溝帯である」と考えているようです。
山中地溝帯
この山中地溝帯は、昔からアンモナイトや貝の化石が出ることで有名だったのだそうですが、
山が落ち込んでできた溝から海の生き物の化石が出てくることなど論理的にあり得ませんよね~(^o^)。海の生物の化石が出てくるのであれば、そこは海だったのではないか?と考えるのが普通だと思うのですが、学者さんたちはそうは考えないようで、教科書にも博物館の解説にも「フォッサマグナや山中地溝帯は地面が落ち込んでできた地溝帯である」と書いてありますし、説明を求めてもやはり同じ答えが返ってきます。
プレートの上に乗っている地面が一部だけ落ち込むなどということは論理的にあり得ないと思うのですが、素人の私が疑問を持つようなことに専門家の学者さんたちは何の疑問も持たないどころか、「フォッサマグナの中に古い地層の関東山地があるのは、フォッサマグナが落ち込んだ時に落ち残ったと考えればよい」というようなあり得ない説や、
山中地溝帯は「褶曲して丸まった所が浸食されてできたと考えてよい」というような説を作り出してつじつまを合わせているのですよね<(_ _)>。
教科書には、そういう非論理的な「地溝帯落ち込み説」や、ウソ八百の『記紀』を信奉する歴史学者さんたちが作った荒唐無稽なつじつま合わせの解釈なども載せられているのですから、本庶先生がおっしゃった「教科書を信じるな」という言葉に私はおおいに頷いてしまったのですが(^o^)、
その後のその言葉への反響を見ると、教科書に同じようなf疑問を感じていた人は多かったのではないかと思います。