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Channel: 歴史探訪
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水上石器時代住居跡

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2018.10.24 水上石器時代住居跡

 
思いがけず晴れたので、まずは秋景色を見ようと天神峠へ行ったのですが、山を見ても自分がどこをどう登ったのか全く思い出せませんでした<(_ _)>
 
昨日上越線を調べていて、土樽という駅名に聞き覚えがあるような気がしたので谷川岳の登山コースを調べてみたら、土合~土樽の初心者向け谷川岳縦走コースがあったので、私はこのコースを歩いたようですが、当時はどこを歩いているのかも分からずにボーッと歩いていたようです(^_^.)
 
今回の歴史探訪のお目当ての一つの「水上石器時代住居跡」は湯檜曽駅から水上の方へ少し下った所に表示がありました。なぜこんな山の方に?と思いながら進んでいくと小屋のようなものが一つあって、その先に案内表示、さらにその先の木の間にもう一つ小屋のようなものがありました。
 
イメージ 1

後ろの茶色の柱は使われなくなったリフトの柱のようでしたから、ここも以前はスキー―場になっていたようで、小屋は敷石の住居跡を保護するための覆屋でした。
 
手前の住居跡
 
イメージ 2

イメージ 3

 奥の住居跡

イメージ 4

イメージ 5

 
地形は利根川から山の方へ登っていく斜面であることしか分からなかったのですが、そこは屈曲しながら南流する利根川の右岸の河岸段丘で、十二沢という小さな沢に沿った場所に小規模な集落が作られていたのだそうで、現在3軒の敷石住居跡が見つかっているそうです。
 
私がここへ行ってみたいと思ったのは、2012年に沼田に「奈良町と奈良古墳群」があるということを知って調べていた時、水上の山の方には石器時代の住居跡があることを知って、なぜその人たちはそこに住んでいたのだろう?と疑問に思ったからなのです(^_^.)
 
石器時代・縄文時代の住居跡は、たいがいその当時の海に面していた舌状台地の端(はな)に作られているのですが、それでは水上のそこも、その当時は海に面した舌状台地の端だったのだろうか??? 地図を見るととてもそうとは思えないけれどと非常に違和感があったのです。
 
地図で探したその場所は、海の近くどころか日本海からも太平洋からも遠い三国山脈の東側の山地の標高565mのところで、海水浴客ではなく登山客がやって来る所だったのですよね(^o^)
 

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