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学者さんたちの常識33 「文献」と韓国歴史ドラマ

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2018.9.30 学者さんたちの常識33 「文献」と韓国歴史ドラマ

 
娘たちを後宮に送り込み、自分の孫を王位に就けて外戚として権力を揮うというのは、不比等が始めたことなのかと思っていたのですが、ニンゲンは「ヒトがヒトを支配する王制」という不合理な文化を作り出して以来ずっと同じことをしてきたようです。
 
高句麗・新羅・百済の建国と歴史を描く韓国歴史ドラマを見ていたら、その後宮で行われていたことは、制度や名称なども含めて『源氏物語』が描いている日本の朝廷の後宮とほとんど同じだということが分かってきたのですが、弥生時代に朝鮮半島から渡来してきて日本で「王制」を始めた人たちは、朝鮮半島でやっていたことをそっくりそのまま持ち込んでいたようです(^o^)
 
例えば『源氏物語』に出てくる「命婦・みょうぶ」は、光源氏を手引きして、天皇のお妃であった藤壺の女御に不義の子を生ませてしまうという重要な役割を果たしているのですが、この「命婦」という妙な名前は何なのだろう?どういう意味なのだろう?と疑問に思っていました。この不義の子は、小説では天皇の子として皇太子になり次の天皇になってしまったので、そんな天皇の系譜を変えてしまうようなことができた命婦とはどういう立場の人だったのだろう?と不思議に思ったのです。
 
同時にそんなことが小説に書かれていて、貴族たちがみな夢中になって読んでいたということは、そのようなことが当時は実際によくあったか、あり得ることだったのではないかとも思いました(^o^)。不義の子であるために産み月の計算が合わないということに関しては、「怨霊の祟りによるものだ」という言い訳(つじつま合わせ)が公式に用意されていたようですしね(^_-)
 
その後、不比等の後妻となって安宿媛(後の光明皇后))を生んだ橘三千代も「命婦」だったと知って、ますます疑問が募っていたのですが、韓国歴史ドラマに「命婦・ミョンブ」が出てきたので、「ああこれだったのか」と疑問が氷解しました(^o^)。あちらの「命婦・ミョンブ」がこちらの「命婦・みょうぶ」、あちらの「内命婦・ネビョンブ」がこちらの「内命婦・うちのみょうぶ」になったようで、制度や名称をそっくり持ち込んでいたようです。
 
美努王の妻で三人の子がいたという三千代は、なぜ不比等の後妻になったのか?三千代の子の橘諸兄はなぜ母の夫(義理の父)となった不比等や藤原氏と対立したのか?ということにも疑問を持ったのですが、韓国歴史ドラマには「ああ、そういうことだったのかも・・・・・」と思うような、利用価値のある女性に「夫や子の命や出世と引き換えに自分の妻になることを迫る」シーンも出てきていました(^o^)
 
というわけで、歴史学者さんたちもウソ八百の「文献」ばかりを元にして「・・・とすればよい」というようなつじつま合わせの説を作ったり、「・・・は謎である」というような論文を書いたりしているよりも、『源氏物語』を読んで韓国歴史ドラマを見る方が「『記紀』のウソから生じた謎」は解けるのにと思って、以前このブログにもそう書いたのですが、これは全く無視されたままです(^o^)

多分『記紀』を信奉して、天皇はアマテラスの子孫だと信じ込んでいる(?)「文献至上主義」のアカデミックな学者さんたちにとっては、朝鮮半島との関連などあるはずがないし、小説やドラマは低俗なものにすぎず、素人の書いたブログや本などたわごとにすぎないということなのでしょうね(^_-)
 
でも、なぜ橘諸兄が母の夫となった不比等と対立するようになり、聖武天皇がそんな諸兄を信任していたのかが分かれば、「橘奈良麻呂の乱」とは何だったのか、この乱で天武天皇の孫たちや諸兄の息子の奈良麻呂やその周辺の人たちが443人も殺されたり処罰されたりしたのはなぜだったのか、その理由が論理的に分かるのですけれどね。
 
「橘奈良麻呂の乱」とは、聖武天皇に篤く信任されていた諸兄の息子の奈良麻呂が起こそうとした乱ではなく、藤原氏が橘氏もろとも反対勢力を一網打尽にするために仕組んだ陰謀だったのです。この「乱」を口実に天武天皇の孫の道祖王・黄文王・塩焼王・安宿王らをはじめとして、応神天皇以来の忠臣だった大伴氏の一族(大伴古麻呂・古慈斐・池主・兄人ら)や多治比氏の一族(嶋の息子の広足を始め国人・犢養・礼万呂・鷹主ら)も殺されたり流刑にされたりしたのです。
 
ですから、『日輪の賦』を読んだ時、私は大伴御行や多治比嶋は「応神天皇の子孫で天武天皇の妻だった讃良大王」の敵ではなく味方だったはずだと思ったのです(^_-)
 
ちなみにこの時藤原氏によって拷問の末に殺された道祖王は、跡を継がせる子を生むことのできない娘の安倍内親王(孝謙・称徳天皇)の皇太子にと聖武天皇が指名していた天武天皇の孫だったのです。
 
インドネシアでは余震が続き、地震と津波による大勢の死者と甚大な被害が明らかになってきたようですが(T_T)、日本は日本で台風24号による被害が刻々と報道されています(T_T)

少し前までそれらのニュースが信じられないような無風状態だったのですが、それは「嵐の前の静けさ」だったようで、先ほどから激しい雨が降り始めました。いよいよ台風の影響が出始めてきたようですが、地震や津波や台風のような猛烈な自然の脅威の前では、じっとやり過ごすしかニンゲンにはなす術がないのですよね(T_T)
 
 

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