2018.9.29 学者さんたちの常識32 大化の改新と乙巳の変
「大織冠」という冠位を授けられたのは、史上藤原鎌足だけだそうですから、これは一等功臣だったけれど「皇別」ではなかった鎌足のために作られた冠位だったのかもしれません。この冠位が与えられたのは死の間際だったそうですし。
『日本書紀』はこのクーデターを「大化の改新」と偽り、645年のことだったとしていますが、大王・石川麻呂(入鹿)が山田寺で殺されたのは649年のようですから、645年というのもウソで、実際は649年だったのではないかと思います。
『記紀』を信奉する学者さんたちも、「大化の改新」は「改新」ではなく「政変」だったのではないかと考え始めたようで、645年は干支では乙巳の年なので「乙巳の変」と言い換えるのが最近は主流となっているようですが、649年は乙巳年ではなく己酉年ですから、そのうち再び「己酉の変」と言い換えられるかもしれません(^o^)。
最近は「仁徳天皇陵」も「大山古墳」と言い換えるのが主流になっているようですが、『記紀』を信奉してやまない学者さんたちは、「この古墳と仁徳天皇の時代には開きがあるからこの古墳の被葬者は仁徳天皇とは断定できない」ということで「大山古墳」と呼び方を変えることにしたようですが、「仁徳天皇の実在」には全く疑いを持っていないようです<(_ _)>。
律令制に移行させようとしていたのは、中大兄ではなく応神天皇の子孫たちであって、アメノタリシヒコ(馬子)―蝦夷(倉麻呂)―入鹿(石川麻呂)と取り組んできたその事業をクーデターで中断させたのが崇神系王族の中大兄であり、再びその事業に取り組んだのが、壬申の乱で王位を取り戻した応神天皇の子孫(蝦夷の子で入鹿の異母兄弟)の天武天皇と高市皇子を始めとする天武天皇の息子たちだったのです。
でもこれも、天武天皇の死去後、天武天皇の皇子たちが次々に不比等によって殺されてしまったため完成させることができず、一部が「飛鳥浄御原令」として発布されただけだったのですが<(_ _)>。
649年のクーデターで王位に就いて実権を握ったのは、『日本書記』が記した中大兄の母(皇極・斉明)や叔父(孝徳)ではなく、中大兄本人でしょう。クーデターを起こすのは自分が王になるためなのですし、鎌足への論功行賞として、649年に鹿島神宮に神郡を与えていますが、領土を与えるというのは王の専権事項なのですから(^o^)。
また、伊勢神宮の祭主家・大宮司、鹿島神宮大宮司、香取神宮大宮司、枚岡神社社家、気比神社宮司、平野神社・梅宮神社・吉田神社宮司家、春日大社社家、松尾大社社家など全国にわたって現在も有名かつ繁栄している神社の多くには中臣氏の累孫が関係しているそうですから、鎌足の子孫たちもみな目端の利く人たちで、閨閥作りに大いに励んでいたようですね(^_^.)。
今年最強の台風24号が日本列島を縦断中ですが(T_T)、さらに昨日は、草津白根山の湯釜付近を震源とする火山性地震が増加していて、噴火警戒レベルが2に引き上げられたというニュースもありました<(_ _)>。
またインドネシアのスラウェシ島中部では、昨日M6.1の地震に引き続いてM7.5の大地震が起きて、3~5mの津波も確認されたそうです。本当に今年は次から次へと世界中で大災害が頻発していますね~(T_T)。