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学者さんたちの常識23 地名と姓

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2018.9.18 学者さんたちの常識23 地名と姓
 
2011年に大室古墳群に行ったのは、保渡田古墳群の周辺の地図を見ていてたまたまそこにも古墳群があることを知り、どんなものなのだろうと興味を持ったからだったのですが、大室に向かう途中で見た田んぼを縁取るヒガンバナの光景と古墳群の中の桜の木にたくさん付いていたヤドリギが印象的だったので、いつかまた来てゆっくりと見たいと思ったのですが、
 
桜の木に付いていたたくさんのヤドリギ 
イメージ 1

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ヒガンバナが咲いてそれを思い出したので、連休に行ってみようかなと周辺の地図を見ていたら、その周辺には他にも遺跡や古墳がたくさんあることが分かりました。そこで、ついでにそれらを回れるだけ回ってみようと予定(のようなもの)を立てて出かけたのですが、藪塚の資料館で「上野国新田荘の新田郡家跡が発見された」というパネルを見て、予定が100%変わってしまいました(^o^)
 
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全く知らなかったので、いつ発見されたのか、どこにあるのかと聞いてみたところ、館にいた方は施設の開閉を頼まれているだけということで、さっぱり要領を得なかったのですが<(_ _)>、郡家跡は天良町にあるということと、藪塚の資料館は新田荘歴史資料館の管理下(?)にあるらしいということが分かったので、新田荘歴史資料館へ行ってみることにしました。

ところが、天良町も新田荘歴史資料館のある世良田も初めて聞いた地名でどこにあるのか見当がつかなくて、行ったり来たりしてしまったのですが、迷ったりウロウロしたりしていると、いろいろ思いがけない発見もあるのですよね(^o^)。今回の最大の収穫は「徳川」の出所が分かったことでしょうか。

新田荘歴史資料館
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以前「姓について」で考察したのですが、古代には「姓」というものはなく、領地を得ると「足利の尊氏」とか「新田の義貞」とか「武田の義清」とか、「佐竹の義業」とかというように、その地名を名前に冠して「○○の(冠者)××」と名乗っていたこと、領地が変わると「○○」の部分も変わっていたことが分かりました。

学者さんたちの常識では逆で、「足利氏」や「新田氏」が先にいて、その足利氏や新田氏がそこに住んだからそこが足利や新田という地名になったのだとされているようですが(^o^)
 
藤原氏が、「本姓(出自)が〈源・平・藤・橘〉以外の者は官位を得ることができない」という仕組みを作り上げていたため、家康は、三河守の官位を得るために源氏に連なる新田氏の系図を買ってその末尾に自分の名前を書き加え、「本姓・源」を名乗ったのですが、家康の領地は三河の松平郷で、「徳川」ではないので、この「徳川」というのは何なのだろう?足利や新田や松平のような地名ではないのだろうか?と疑問に思っていたのです。徳川家康は「徳川の家康」とは言わないようですし・・・・
 
ところが、新田荘歴史資料館に辿りついてみたら、そこには大きく「徳川氏発祥の地おじま」と書いてありました。「エッ、松平から徳川になったのは家康の代なのだから、徳川氏発祥の地は三河の松平なのでは???」と思ったのですが、説明を見て納得しました。
 
八幡太郎源義家の子であった義国が関東に下り、その子の義重が新田の荘を拓いて「新田の義重」となり、その子の義季が世良田の徳川の地を領して「徳川の義季」になっていたのだそうです。家康はこの系図を手に入れて「徳川の義季」の子孫になりすまし、本姓「源」を名乗ったのですね。

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「徳川」もやはり足利や新田や武田や佐竹などと同じ「地名」だったのです(^o^)。ちなみに、義重が湿地でただの荒地だったこの地を拓いて荘園にしたのだそうですから、「新田(にった)」は、新たにできた田の意味の「新田(しんでん)」だったのではないでしょうか?
 
今朝、窓を開けたらキンモクセイの香りがしました。咲き始めたようです。



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