2018.9.14 学者さんたちの常識20 『記紀』信仰
9.11の新聞に「ピラミッドの謎をはぎ取れ」というコラムがありました。ピラミッド研究は、財宝探しの時代から、ドローンなども駆使する「総合的な精密科学」に変貌し、「神秘とロマンのピラミッド」は過去のものになりつつあるのだそうです。
これは、古代史の謎解きはジグソーパズルと同じだと考えた自称「古代史探偵・推古」の私が、2009年からこのブログでやって来たことそのものではありませんか\(^o^)/。
やはり古代の謎を解くには、恣意的なつじつま合わせではなく、シャーロック・ホームズのように現場を観察して科学的に検証し、論理的に因果関係を繋いでいく推理が必要だったのです(^o^)。
ホームズは、「事件の捜査はきびしい科学なんだ。科学でなければならないんだ。」と言いましたが、古代史の謎解きもやはり科学でなければならず、探偵が捜査をして論理的な推理で事件の謎を解いていくのと同じなのです\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。
ジグソーパズルといえば、古代史の謎の捜査の途中で、地球上の陸地は本当にジグソーパズルだったことが分かったというおまけもありましたが(^o^)。
謎解きをしていて、日本の歴史でも、恣意的なつじつま合わせの歴史解釈よりは考古学的な見解の方がまだ納得できると思ったのですが、
日本の場合、せっかく考古学的な発見があっても、例えば「甘樫丘で発見された大規模石造物は(架空の)舒明天皇の初葬地である」というように、その解釈は『記紀』のウソに沿ったものになってしまっているのですよね<(_ _)>。
『記紀』信仰や「皇国史観」が学者さんたちの間に抜きがたく深い根を張っているため、日本の考古学はまだ「総合的な精密科学」にはなっていないのです。
でもしばらく前に、
近つ飛鳥博物館の館長の交代があって、新館長のお披露目講演があり、「古代は考古学と歴史学が協力しないと姿が見えない」として学際的な共同作業を発展させる決意を表明した。前館長も「学問の枠を超え、国境を越えて東アジアを俯瞰する大切さ」を示唆した。
という記事がありましたから、少しずつ変わって来るかもしれません。できれば東アジアに限定せずに地球全体に目を向け、共同作業では考古学が非科学的な『記紀』にすり寄るのではなく、歴史学が科学に近づく方向に行ってもらいたいものですが(^_-)。
2、3日前からヒガンバナがもう咲き始めてしまいました。
このヒガンバナは、高麗川の河原に落ちていた球根から増えたものなので、巾着田はどうなっているかな?と調べてみたら、こちらもすでに開花が進んでいるようです。