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コメントへのお返事 虚構と事実

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2018.9.13 コメントへのお返事 虚構と事実 
 
Omachiさま。同じ文面のコメントを昨年9.229.27に「大町阿礼」さまのお名前でいただいています(^o^)。その時のコメントとお返事は↓にあります。
 
小説はフィクション(虚構)ですから、人物像でもオハナシでも、作者の見方や考え方次第でどのようにでも作れるようです。「ワカタケル」も不気味な怪物の登場でオハナシが始まりましたが・・・・
 
作中の人物の容貌の描き方からは作者がその人物をどのように見ているのかが伝わってきますよね(^o^)
 
今、澤田瞳子著『日輪の賦』を読んでいるのですが、この作品では不比等が「細い目と不釣り合いなまでに大きい鼻、長い顔と濡れ濡れとした唇が目を引く特異な顔立ちの人物」として、まばらな髭をむしる癖があって、威厳のかけらもない馬面の醜男と描写されています(^o^)

イメージ 1

 
永井路子著『美貌の女帝』では、不比等は「猪首で猫背の小男で、極端に薄い眉に小さなたれ目だった」と記されていたのですが、どちらにしても「眉目秀麗」とは真逆の描写ですね。それらの描写から、私は「どうも不比等は女性作家には好かれていないようだ」と思ったのですが(^_-)
 
氷高皇女(元正天皇)は『日本書紀』に「氷高皇女は沈静婉れんにして・・・」と記されているそうですが、不比等についてもどこかに醜男だったと記されているのでしょうか(^o^)
 
いずれにしても、実際に見た人がいるわけでも、写真や映像があるわけでもないのですから、容貌の描写は作者の持つ人物像の反映なのでしょうね。美醜の基準や感じ方は人によっても違うのでしょうし。
 
でも、私たちの歴史上の人物のイメージは、そういった小説やドラマなどで作られてしまうのですよね。義経は美男だったとか、信長は癇性で酷薄だったとか、家康は狸おやじだったとか・・・・。
 
けれど信長や家康には肖像画が残っているようですし、資料も豊富にありますし、それぞれの小説家がいろいろな見方で人物像を描いていますから、読者も読んだ小説や演じた俳優などから、それぞれ自分なりの人物像のイメージを持っているようですが、ワカタケルに関しては、人物像のイメージどころか名前さえ知らない人の方が多いのではないでしょうか。
 
学者さんたちは、ワカタケルは倭王・武で雄略天皇であるとしていますから、多分、倭王・武と雄略天皇の資料やエピソードがワカタケルの資料として使われるのでしょうね。『記紀』の雄略天皇は架空の人物で、そのエピソードは作り話なのですが・・・・
 
すると、この小説で初めてワカタケルを知る読者は、小説に描かれる人物像を見て「ワカタケルとはそういう容貌のそういう性格の人で、そんなことをした人だったのだ」と思い込み、その人物像が独り歩きを始めるのでしょうね。挿絵はまだ↓のような抽象的なものばかりですが。

イメージ 2

小説には、実在しないのはもちろんのこと元の作り話にさえ登場しない人物も登場するようですが、それらの人々も実在したと信じられるようになっていくのかもしれませんね(^o^)。小説家が歴史学者の「説」を小説の下敷きにするように、そのうち学者さんたちが小説の人物像やオハナシを自説に使うようになるかもしれません。小説家も歴史学者も同じ「文学部」というジャンルに属する人のようですから。
 
そういうわけで、私は「ワカタケルがどのような人物に描かれ、どういう新しいオハナシが作られていくのか」に興味津々なのです。
 
 
アメリカではハリケーンで避難命令が出された人は170万人になっているそうですが、そんなにたくさんの人がいったいどこに避難するのでしょうね?青森県の人口は138.3万人、岩手県の人口は131.8万人だそうですから、一つの県の全県民より多い人数になるようなのですが。
 
 

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