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水稲荷と穴八八幡83 神社本庁と別表神社2

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2018.4.2 水稲荷と穴八八幡83 神社本庁と別表神社2
 

別表にリストアップされていて本庁から宮司を送りこまれた宇佐神宮の地元では、「地元の宇佐神宮が今は『本庁の宇佐神宮』になってしまった。これは本庁の乗っ取りだ」と言っているそうですが、どうもそのようですね<(__)>

 
宇佐神宮に天下ってきた宮司さんの顔は地元の方を向いていないようですし、富岡八幡に天下ってきた宮司さんはそのまま世襲して居座り、神社(の収益?)を私物化してギャンブルや遊興に使っていたようですし<(_ _)>
 
ところで、宮司さんの住んでいる家って誰のものなのでしょうね?もし宮司さんが亡くなって世襲する息子がいなかったら、前宮司の家族は次に来る宮司さんに家を明け渡して出て行かなければならないのでしょうか?
 

カミとホトケは同じものなのか違うものなのかも含めて、神社やお寺って分からないことばかりですが<(__)>、神社は、元々は先祖を祀る「祖廟」でその家(氏)の私的なものであり、当然「名負いの氏」である子孫が世襲するものだったのですから、赤の他人が天下ってきて宮司になるようなことは想定されていなかったはずなので、その辺りはあいまいにしたまま「なあなあ」でやってきたということでしょうか。

 
神社本庁が作られたのは1946年で、別表神社か定められたのは1948年だそうですから、半世紀を経て宮司の世代交代などで「なあなあ」でやってきた部分の矛盾や問題が顕在化してきたということなのかもしれませんね。
 
1946年に神社の国家管理の廃止に伴って公的な社格の制度が廃止されたため、伊勢神宮を除く全ての神社は建前では対等の立場になったのだそうですが、その後、神社本庁によって伊勢神宮をトップに据えて組織化されたのですから、実際は対等ではなかったわけですよね。現在は旧官国幣社や一部の規模の大きな神社から始まった「別表神社」が神社の格付けのようにみなされているそうです。
 
別表にリストアップされれば「格の高い神社」と認められたことになるようですから、現在リストアップされている約350社は、別表に掲載されることを望み、掲載されたことを喜んでいたのかもしれませんが、実態は「神社本庁」による乗っ取りであることが顕在化してきたようですから、これから先、神社本庁を離脱する神社が増えてくるのではないでしょうか。
 
気多大社は何を争っていたのか調べてみたら、↓の記事が見つかりました。
 
昭和18年に天下ってきた宮司さんの時から一部の地元民によって、よそ者の三井宮司を排斥し、地元の神職を氣多神社宮司に据えようとする政治的な動きが出始めたそうで、それ以来ずっとスッタモンダが続いていたようです<(_ _)>
 
半世紀以上に渡る経過を記した↑の記事は複雑で長いので、途中で読み進む気力がなくなってしまったのですが<(_ _)>、「政治的動き」という言葉が何度も出てきていました。結局神社本庁にとっては「カミサマ」や「信仰」の問題ではなく、「権力とお金」の問題だったようです
 
先日書いたように、能登の人々は戦時中も「皇国史観」には与せず、古い神社はどこも作り話のアマテラスやヤマトタケルを祀っていませんでしたから、戦時中に天下ってきた宮司さんは、「虚偽の国家神道」に合わせて気多大社の祭神を大己貴神命からアマテラスに差し替えようとして地元の反発を買ったのかもしれませんね。
 

最終的には神社庁のやり方が違憲とされ気多大社側の言い分が認められて、長い戦いの末2010年に晴れて神社本庁から離脱することができたようです(^o^)

 
気多大社

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