2018.4.1 水稲荷と穴八八幡82 浮世絵の江戸川
私は文京区を流れている川が「神田川」という名前になってからのことしか知らなかったので、文京区にある牛天神から西の方に「江戸川」が見えたはずがないと思ったのですが、
調べてみたら、現在の「神田川」は江戸時代には「江戸川」と呼ばれていたことが分かりました(^o^)。
そういえば、以前「新江戸川公園」へ行った時、なせここが新江戸川なのだろう?と疑問に思ったことを思い出したので地図を見たら、「新江戸川公園」は無くなっていて「肥後細川庭園」になっていました。一昨年の1月にたまたま行ってみた時には工事中で入れなかったのですが、2017年3月18日に「肥後細川庭園」と改称されてリニューアルオープンしたのだそうです。
それでは、細川邸の庭園が「新江戸川公園」として公開された頃には、この川はまだ「江戸川」と呼ばれていて、近くに「江戸川公園」があったから、細川邸跡は「新江戸川公園」という名前になったのですね(^o^)。そういえば、あの辺りには「江戸川橋」という橋や駅があることを遅まきながら思い出したので行ってみました。
神田川沿いには桜がたくさん植えられているので、川べりの遊歩道や公園はお花見の人でいっぱい。ソメイヨシノは散り始めて花筏になっていましたが、八重桜が咲き始めていました。
江戸川橋には「江戸川公園」の大きな石碑が建っていて「男爵 阪谷芳郎書」と刻まれていました。
そこで「阪谷芳郎」を調べてみると、1907(明治40)年に男爵になり、1941(昭和16)年に子爵になったそうですから、戦前までこの川は「江戸川」と呼ばれていたようですね。この川を「江戸川」と呼んで育った人たちにとっては、この川は死ぬまで「江戸川」だったのでしょう(^o^)。
ついでに、かつて「清戸道」と呼ばれていた「目白坂」も確かめてきました。
目白坂