2018.1.27 水稲荷と穴八幡23 早稲田大学2 相馬御風
グランド坂通りを下っていくと北門があったので、そこから構内に入り正門と大隈庭園の方に向かうと、正門の近くに大きな石碑がありました。
古い石碑には、私には読めないものや意味の分からないも多いのですが<(__)>、思いがけないことが記されていたりするので一応読んでみることにしています(^_^.)。最近では水稲荷神社にあった「遷座の碑」からいろいろなことが分かってきましたしね(^o^)。
ボリュームのある石に近づいて読んでみると、刻まれていたのは早稲田の校歌だったのですが、最後に記されていた「相馬御風」の名を見てヒスイを連想し、
あれ?この人は糸魚川の人じゃなかったっけ?と思って裏に回って確かめてみると、やはり作詞者の相馬御風は糸魚川の人で、この石は姫川の銘石であることが記されていました。
なぜ「御風」からヒスイを連想したのかというと、フォッサマグナ・ミュージアムで購入した「とっておきのヒスイの話」に御風とヒスイの話が載っていたのです(^o^)。
ヒスイが糸魚川産であることが分かったのはそれほど古いことではなく、昭和初期まで日本の遺跡から出土するヒスイは大陸から渡来したものと考えられていたのだそうですが、御風はコシの国のヌナカワヒメがヒスイの首飾りをしていたという伝説があることから、そのヒスイは地元産なのではないかと考え、知り合いにその話をしたことからヒスイ探索が始められ、1938年に戸倉沢の滝壺で日本初のヒスイが発見されるに至ったのだそうです。
相馬御風氏と明星山
明星山
小滝川ヒスイ峡
北品川の「翡翠原石館」のヌナカワヒメのモザイク壁画
ひょっとすると、歌碑の大きな姫川の銘石にもヒスイが含まれているのかな?と思ったのですがよく分かりませんでした(^_^.)。