2018.1.25 水稲荷と穴八幡21 クリティカルシンキング2
歴史学者さんたちは「トヨタマヒメが八尋のワニの姿になってホオリノミコトの子を出産した」という荒唐無稽な『古事記』のオハナシを、文学作品(つまり作り話)としてではなく、歴史として大真面目に信じているのでしょうね?
このトヨタマヒメとホオリノミコトの孫が神武天皇なのですから、これをウソだと言ってしまったらそれ以降の系譜は全部ウソだということになってしまいますものね(^_-)。
古代史の謎解きを始めてから、学者さんたちはなぜ『古事記』の荒唐無稽なオハナシを信じることができるのだろう?ということが私にとっては最大のナゾになっていたのですが(^_^.)、オウム真理教の信者と同じように、論理的に考えてみることなく『古事記伝』を著した教祖・本居宣長の「お言葉」をただひたすらに信じているということでしょうか?
私は「歴史学」は人文科学だと思っていたのですが、そうではなく、歴史は科学や事実とは無縁の「芸術・文学」に分類されるものだったようです。
そうであれば、非論理的なものを無批判に信じたという点で、オウム真理教の信者と、教祖・本居宣長の『古事記伝』を信じた歴史学者さんたちとは、信じた相手が違うだけで何も変わらないということになりますが・・・・<(_ _)>。
この手の理不尽で狂信的な犯罪集団の再発を防ぐには、日本の教育に欠けている「非論理的なものを鵜呑みにしない批判的な思考力(クリティカルシンキング)」を育てることが不可欠だと思うのですが、現在の日本は逆に森友学園のような非論理的な「国家神道」を幼児に刷り込んで洗脳しようとする方向に向かっているようです<(_ _)><(_ _)><(_ _)>
日本にはワニはいないと考えたらしい学者さんたちは、「ワニとはサメのことだ」と解釈したようですが、『古事記』が記した「天孫降臨」は信じたのに、「ワニ」は信じなかったのですね。「解釈」とは自分の「説」にとって都合のよい部分だけを信じるということのようです。(蛇足ですが、化石がいくつも出ていますから日本にもワニはいたのです。)
でも、「説」や「解釈」を作るのがオシゴトの歴史学者さんたちが、せっせと『古事記』や『古事記伝』のつじつまを合わせる「説」を作り出していたにもかかわらず、子供たちや普通の感覚を持った庶民はそんな荒唐無稽なオハナシは信じていなかったようです(^_^.)。
「教科書の歴史」には、「天孫降臨の図を教室で見せられた茨城県の小学生が『先生そんなのウソだっぺ』と尋ねて木刀で殴られた」ことが記されているそうですし、
安部公房氏は「戦時中、満州にあった日本人学校の生徒たちの中に、天皇を神だと信じていたものは一人もいなかった」と言っておられたそうですし、司馬遼太郎氏は「満州の日本人学校だけでなく、日本の内地の小学校や中学校でも誰もが天皇が神であるとは信じていなかったのではないだろうか。私は青年期になっても、天皇が人間でなく神さまだと信じている友人に出逢ったことがない」と書いておられましたし(^o^)。
『古事記』や『古事記伝』を大真面目に信じていたのは体制に寄り添う「説」や「解釈」を作ることをオシゴトにしていた歴史学者さんたちだけだったということなのでしょうか?