2018.1.24 水稲荷と穴八幡20 「バカの壁」
『古事記』に書いてあることは全て事実であるという思い込みを捨てて、論理的に因果を辿れば事実が見えてきて『記紀』のウソが分かってくるのですが、思い込みで壁を作ってしまうとその壁の内側の景色しか見えなくなってしまい、その壁の中で何とかしてつじつまを合わせようとし始めるようです。
「人間は自分の脳が理解できることしか受け入れない」ことを指摘された養老先生はそれを「バカの壁」と名付けられましたが、この思い込みが「バカの壁」を作り出して、理解できないことはみな「謎」として片付けたり、「でたらめもでたらめ!!」と攻撃することで自分の固定観念(バカの壁)を守ろうとしたりするようです<(__)>。
20日に「23年も続いていたオウムの裁判がやっと終結した」というニュースがありました。オウムについては、2014年に「オウムと終末症候群」という記事があって、その発端は『ノストラダムスの大予言』という「トンデモ本」だったらしいことが分かったのですが、
この長い裁判を経ても「学歴も才能もある若者たちがなぜ、あの教祖に引き寄せられたのか、納得のいく答えは得られなかった」のだそうです<(_ _)>。
本来なら論理的思考ができたはずの頭脳を持った人たちが、信者ではない私から見ればまるで論理的とは思えない「教団の論理」に取り込まれていったのは、明治以降「非論理的な神話や国家神道」を刷り込まれ続け、非論理的なものを無批判・無条件に受け入れて信じ込む素地が醸成されていたからなのではないでしょうか?
「人は死ぬ 必ず死ぬ 死は逃れられない」という教祖の言葉に、死の恐怖や無間地獄に落ちる恐怖から教祖の言いなりになったというようなことを聞いたとき、私は人が死ぬのは当たり前のことではないかと思い、結跏趺坐した麻原彰晃が宙に浮いている写真を見た時には、重力に逆らって人が宙に浮くなどということは論理的にあり得ないはずだと思ったのですが、磐船やお釜が空を飛んできたというようなもっともっとあり得ないオハナシを事実だと信じている文科系の学者さんや知識人という方たちは、たぶん何の疑問も感じなかったのでしょうね<(_ _)>。万有引力や重力などは「知識」ではなく、つじつま合わせに必要な知識が「知識」なのだということのようです。
翌日には「殺人を暗示的に勧める綱領を保持しているとしてオウム真理教やその分派の観察処分が延長された」という記事が出ていましたが、
昨今の神社ブームや、神道政治連盟や国民会議のメンバーが国会を席巻して、
森友学園のような国家神道による洗脳教育を推し進めようとしている現状をみると、非論理的なオハナシを無批判・無条件に受け入れて簡単に洗脳され、それが正義や修行だと思い込んで教祖や「宗教的指導者」の言うままにテロや殺人を実行する人はますます増えてくるかもしれません。
そういえば、財務省が廃棄したと主張していた「森友学園関係文書」が出てきたようですね。何もかも「ウソばっか」のようです<(_ _)>。
昨日は本白根山の噴火のニュースの後に、アラスカ沖でM7.9の地震があったとのニュースもありました。やはり、大地震も噴火も頻度が増えてきているようです。