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山中地溝帯と海29 3万年前の航海2

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2017.11.17 山中地溝帯と海29 3万年前の航海2

 

2016年の実験は、「祖先たちは台湾から舟を出し、100km 以上先の見えない琉球列島へ向かう航海に出たのです。それはおそらく世界最大の海流である黒潮越えを要する、たいへん困難な航海であったはず。」という思いこみを元に立てられた計画で、与那国島から西表島までの75km30時間不眠不休で舟を漕ぎ続ける予定だったようです

 

この実験では行先が西表島と決まっていて、西表島どこにあるのかも分かっていたわけですが、舵も動力もない小さな手漕ぎの草舟で、どの方向にどのくらい行けば島があるのかも分からないまま当てもなく大海原に漕ぎ出したりするのは自殺行為のようなものでしょう。38000年前にやって来た人たちはそんな無謀なことはしなかっただろうと私は思います。

 

30時間漕ぎ続ければ必ず目的地に着ける」、または「見えているあそこまでなんとしても行きたい」ということであれば頑張ることもできたかもしれませんが、どこに行けば島があるのか、あるのかどうかさえも分からず、どの方向に向かって漕げばいいのかも分からない状態で、不眠不休で何十時間も漕ぎ続けることなどできないでしょうし、飢えと渇きで力尽きて漂流することになってしまったのではないでしょうか。世界最大の海流である黒潮が流れているなどということも知らなかったでしょうし。

 

地図で島の正確な位置や方向を知っていて、食料や水も十分に用意し、時期を選んで満を持して漕ぎ出した去年の実験でも、もし伴走船という安全弁を用意していなければ、草の舟はどこかに流されていったまま、もしも運よくどこかに流れ着くことができたとしても二度と帰ってくることはできなかっただろうと思います<(_ _)>

 

舵も動力もない小さな草舟の航海能力がどのくらいのものか、自分たちが漕ぎ続けられるのはどのくらいの時間なのか、日常的に草舟を使っていた人たちは熟知していたはずですから、38000年前に始めて台湾から海を渡ってやって来た人たちは自分たちの能力をはるかに超える長い航海などは考えなかっただろうと思います(^o^)

 

彼らは台湾からあるかどうかも分からない遠い島へ向かって当てもなく漕ぎ出したのではなく、草舟で確実に行くことのできるところに島が見えていたから、舟を出して行ってみたのだろうと考えながら新聞を見ていたら、「嵐に見舞われ、あわや遭難」という『私の履歴書』の見出しが目に入りました。筆者の石毛直道氏は、ニューギニアの近くで船外機を付けたボートで移動中に嵐に見舞われて船外機が壊れ、なすすべもないまま漂流することになってしまったのだそうです。

 

明け方近くに遠くにうっすら明かりが見えたので、パドルを使って必死にボートを動かし、疲労困憊しながらも浜にたどりつくことができたそうですが、その明かりがなくて湾外に流されていたら多分助からなかっただろう、ということでした。

 

目的地が見えていたから疲労困憊しながらも必死に力をふり絞ることができたのですよね。もしその明かりの方へ行けば陸地があって助かると思わなかったら、必死で漕ぐ気力も湧かなかったでしょうし、どこへ向かえばよいのかが分からずにやみくもに漕いでいたら、かえって陸地からどんどん離れて行ってしまったかもしれません。

 

祖先たちは「台湾から舟を出し、100 km 以上先の見えない琉球列島へ向かう航海に出た」のではなく、見えていて行ける場所にあったから行ったのであり、それを繰り返し、島々に遺跡を残しながら徐々に島伝いにやってきたのだろうと思います(^o^)

 

↓には、南西諸島には36500年前から2万年前の旧石器時代の遺跡が多いと記されていますが、

 
イメージ 1

 

これは人々が島伝いに1万6500年かけて台湾~八重山諸島~沖縄と渡っていったことを示しているのであり、遺跡は台湾に近いほど古いのではないでしょうか?

 
 

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