2017.11.10 山中地溝帯と海21 創造科学3
海のプレートがアラビア半島に乗り上げたのは約1600万年前だそうですが、2500万年前にユーラシア大陸から剥がれはじめて日本列島の原型になった付加体が、その中央で接している二つのプレートが反対方向に大きく動いたために真ん中から割れてフォッサマグナが生じ、東日本がいくつもの島になってしまったのも1600万年前頃だったようです。
2500万年前
1600万年前
↑は下仁田ジオパークにあったものなのですが、このデータはもう古くなってしまったようですね。プレートの境目の位置は、現在は↓のように考えられているようです。いつまでも8世紀の『記紀』のつじつま合わせをしている歴史学とは違って、自然科学は日進月歩なのです。
そして↓の図を見ると、北上してきたインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、ユーラシア大陸がインド亜大陸に乗り上げて(インド亜大陸がユーラシア大陸の下に潜り込んで)ヒマラヤやチベット高原ができたのもその頃のことのようですから、その頃には地球内部からのとてつもなく大きな力が地球の表面全体を大きく動かしていたようです。地球がまだ若くて活力に満ちていたということでしょうか(^o^)。
発生してからたかだか20~30万年しか経っていない現人類が、1600万年も前のことを推定しているのですから、この推論もまた、確認はされていない「仮説」なのかもしれませんが、少なくてもカミサマの天地創造を元にしている創造科学よりはずっと論理的で、私は納得できました(^o^)。
ホームズも、「ただ一滴の水から、論理学者は大西洋やナイアガラ瀑布を見たことがなくても、それらが存在しうることを推論できるであろう。」と言っていましたしね(^_-)。
私は子供の頃、「天地創造のオハナシ」や、「イザナギとイザナミの国生みのオハナシ」をどうしても納得できなかったのですよね(^o^)。