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Channel: 歴史探訪
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山中地溝帯と海

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2007.10.17 山中地溝帯と海

 

「地溝帯断層落ち込み説」がどうしても納得できなかった私は、科学博物館の地球館で、たまたま日本列島を形成している付加体の岩石の前でギャラリートークをしていた学芸員さんに、地殻の上に乗っている地面(岩石)がどうしてフォッサマグナの部分だけ落ち込んだのか?どうやったらそこだけ6000kmも落ち込むことができるのか?と質問してみました。

 

日本列島を形成する付加体の岩石

 
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国立科学博物館でなら、納得のいく説明か考えるヒントを得られるのではないかと期待したのですが、ここでは「フォッサマグナは地面が落ち込んで出来た地溝である」ことが動かぬ事実として前提になっているようで、質問の意味さえ理解してもらうことができませんでした(T_T)

 

フォッサマグナ(大地溝帯)や地溝に関しては、論理性に優先する根強い「ナウマン博士信仰」があるようで、根強い『古事記伝』信奉者(本居宣長信仰者)である歴史学者さんや考古学者さんと同じように、その解釈や前提は正しいのか?と考えてみることはないようです<(_ _)>

 

古代の地形から『記紀』の謎を解く」を「でたらめもでたらめ 酷いでたらめ」と思った方々は、『古事記伝』の非論理的な解釈や、「フォッサマグナ落ち込み説」や「フォッサマグナ伸びたお餅説」のような非論理的な説に何の疑問も感じたことのない方々なのでしょうね。

 

海がないはずの埼玉県の小鹿野町の辺りから海辺に生息していたパレオパラドキシアの化石が出土していたことを知って、それでは小鹿野町はパレオパラドキシアが生息していた頃は海辺だったに違いないと考えて行ってみたら、その頃の小鹿野町は古秩父湾の海と海辺であったことが分かりました\(^o^)/。

 
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そして、埼玉県の小鹿野町から山道を越えて群馬県の神流町の恐竜センターに行ってみたら、ここからは貝の化石がたくさん出ていて、化石発掘体験ができることや、小鹿野町の古秩父湾から神流町まで「山中地溝帯」が続いていたことが分かりました。

 

山中地溝帯 中央の緑色の部分

 
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この「山中地溝帯」は昔からアンモナイトや貝やウニなどの化石が出ることで有名だったそうですから、埼玉県の小鹿野町も群馬県の神流町も海だったのです。

 

つまり「山中地溝帯」は、山の一部が落ち込んで地溝帯になったのではなく、プレートの動きによって日本列島が割れ、東日本が多島群になった時の海の跡なのです。


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この山中地溝帯を地図で辿ってみると、小海線の海瀬に辿りつきました。2009年に佐久まで探しに行った小海線の海に2015年にやっと辿りついたのです\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/。

 

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