2017.9.20 奈良・小山田古墳の横穴式石室6
馬子(アメノタリシヒコ)の石舞台古墳以降、大王や王族の墓は下方上八角形墳になっていたことが分かったので、大きさを調べてみました。
古墳名 大きさ 被葬者
石舞台 下方部55m 蘇我馬子(アメノタリシヒコ)
都塚 下方部40m 蘇我痲理勢(馬子の弟)
小山田 下方部70m 蘇我蝦夷
菖蒲池 不明 蘇我入鹿
御廟野 下方部70m 天智天皇
野口王墓 八角形部径50m 天武・持統
束明神 八角形部径30m 草壁皇子
牽牛子塚 八角形部径18.5m 大津皇子・山辺皇女
中尾山 八角形部径19.4m 文武天皇
桃山陵 下方部60m 明治天皇
多摩陵 下方部27m 大正天皇
武蔵野陵 下方部27m 昭和天皇
野口王墓古墳・束明神古墳・牽牛子塚古墳・中尾山古墳は八角形墳とされていますが、地面に直接八角形墳が造られていたはずはありませんから、その下には方形の基壇と周濠があったのではないでしょうか。基準となった石舞台古墳にはもちろんのこと、府中の熊野神社古墳など、地方の王族の墓にも基壇や周濠が造られていたのですから。
八角形部の径から見て、天皇陵である野口王墓古墳の基壇は70m、皇太子陵である束明神古墳の基壇は50mくらい、皇子陵である牽牛子塚古墳の基壇は30mくらいでしょうか。皇子などの王族の墓は、大王墓に準じた形で大王墓より小さく造られていたのです。
熊野神社古墳 本当は円ではなく八角形だったのだと思いますが(^_-)
小山田古墳の基壇は70mあったのですから、これは「大王墓」以外の何者でもないでしょう。「上の宮門(みかど)」に住み、日本最大級の小山田古墳に葬られた蘇我蝦夷は豪族ではなく大王だったのです\(^o^)/。そして、都塚古墳も学者さんたちが想定しているようなピラミッド型ではなく、八角形だったのです。
ネコビタイ便り
台風の通過で赤と白のヒガンバナはお彼岸を待たずに終わってしまいましたが、黄色のヒガンバナ(ショウキラン)が咲き始めました。
台風と言えば、また最強のハリケーン・マリアが上陸して、カリブ海の島々に壊滅的な被害を出したそうですし、7日にM.8.0の大地震に襲われたばかりのメキシコでは、19日にまたM.7.1の大地震が起きたそうです。気象や地殻の動きは日増しに荒っぽくなってきているような気がします<(__)>。
自然現象の地震や豪雨、台風などで、ただでさえ大勢の人が被害を受けたり亡くなっているのに、ニンゲンは欲のための殺し合いや人為的な破壊をさらにエスカレートさせているのですよね~(T_T)。