2017.8.21 「塙」って?81 武蔵野台地の端(はな)70 奥沢城
駅前から長い参道がありました。
境内は往古の武蔵野の面影を濃く残しているということですが、「禁銃猟 警視庁」という古い字体の石柱を二つ見ましたから、この辺りは人よりも鳥獣の方が多かったのかもしれませんね(^o^)。
総門
ここの山号は「九品山」のはずだけれど、この扁額はなんと読むのだろう?と思ったのですが、目的は城址碑と土塁だったのでそそくさと中へ入り、境内案内図はどこにあるのだろう?とキョロキョロ探していると、仁王門の左手に小さな城址碑と土塁が見えました。
仁王門
仁王門の奥の「創建の由来」には、「奥沢城跡の地を賜って創建された」ことが記されていましたが、城址碑は、意識して探さなければ見えないくらいの小さなものでしたから、ここにその碑があるということを知って探しに行ったのでなければ、大きな仁王門に眼を奪われて全く気付かずに通り過ぎてしまったでしょうね(^o^)。
「おめんかぶり」はお祭りではなく「来迎絵」で、菩薩のお面をかぶって行進する↓のような行事だそうです。
寺の周囲には確かに土塁が残っていました。
浄真寺の北側にある八幡中学校の位置も確かめてきました(^o^)。
正門の前の道の突きあたりは浄真寺の囲いという位置関係でした。
地図ではこの浄真寺から九品仏川の緑道が始まっていますから、この出城もやはり川の側の地を選んで造られていたようです。