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「塙」って?76 武蔵野台地の端(はな)65 上祖師谷神明社

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2017.8.16 「塙」って?76 武蔵野台地の端(はな)65 上祖師谷神明社

 

つりがね池には周辺の遺跡の説明は無かったので、つりがね池の水が流れ込んでいるという仙川と祖師谷公園を通って世田谷郷土資料館に行ってみることにしました(^o^)

 

仙川  鞍橋から 両側は祖師谷公園

 
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ここにあった周辺の案内図を見ていたら、公園の近くに神明社があったので、つりがね池の横山さんが氏子になっている神明社はこの神社なのかな?でも神社がつりがね池とは仙川を挟んで反対側にあるのはおかしいのでは?と思ったのですが、とりあえず行ってみることにしました(^o^)

 

後で調べてみたら、この案内図は「上祖師谷」のものだったのでここには記されていなかったのですが、つりがね池の側にも神明社がありましたから、こちらは上祖師谷村の村社で、横山さんは川向うの神明社の氏子さんだったようです(^o^)。祖師谷村を二つに分けた時、下祖師谷村の村社として、もう一つ神明社を造ったのでしょうね。

 

上祖師谷の神明社は仙川のハケにあり、神社の横には世田谷郷を東西に貫く「滝坂道(府中道)」が通っていましたから、ここは水陸の交通の要衝だったようです。

 

神社の前を流れる仙川  右手(西)のハケの上に神明社、左手は祖師谷公園

 
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神社とその横を通っている「滝坂道(府中道)」

 
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神明社

 
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ここにも稲荷社が合祀されていましたが、稲荷社って本当にどこにでもあるんですね(^o^)

 

境内にあった「上祖師谷の沿革」によると、祖師谷村が上・下に分けられたのは1697年で、1828年の上祖師谷村は、家が67戸で人口は323人だったそうですが、江戸時代には甲州街道の裏道になっていた「滝坂道」は、甲州街道の滝坂から青山に至る重要な道で「青山道」と呼ばれていたようです。

 
イメージ 7

 
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蘆花がこの道を通って青山から越して来た明治40年には、粕谷村には家が26軒しかなかったのですから、上祖師谷村の方が家や人口は多かったようですが、それにしても少なかったのですね。1828年には323人だった上祖師谷の人口は、2007年(平成19年)111日には17605人になっていたそうです(^o^)




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