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世界遺産登録申請

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2017.8.13 世界遺産登録申請

 

先日、2019年に世界遺産登録を目指す推薦候補として「百舌鳥・古市古墳群」が選ばれたというニュースがありました。「北海道・北東北の縄文遺跡群」の推薦は見送られたようです。

 

「百舌鳥・古市古墳群」の推薦書の方が、準備が進んでいたというのがその理由のようなのですが、どちらもイコモスを納得させられるような論理的な説明や歴史的な位置づけが出来ていないという点では同じだと私は思います。

 

『古事記』のウソに基づいて架空の天皇たちの陵墓だとしているために矛盾だらけで整合性のない「百舌鳥・古市古墳群」の説明よりは、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の方が遺跡自体についてはずっと論理的な説明ができていると私は思うのですが、

 

こちらは遺跡が縄文時代のものであることの説明や証明はできても、肝心の「縄文時代」そのものが、学者さんたちが「日本の歴史」として信奉してやまない『記紀』の中にはないのですよね(^_-)。何と言っても神懸りの日本の歴史では、初めてニンゲンになった紀元前600年代の神武天皇以前は「神代」だということになっているのですから、「神道教育」を押し進めようとしている「国民会議」や「神道政治連盟」やそれに属する議員が構成する内閣は、神代が縄文時代であるなどということを認めるわけにはいかないでしょうし(^_-)

  

おまけに世界史の時代区分の中にも「縄文時代」という時代はないのですよね。

 

仁徳天皇は『古事記』が創った架空の人物で、宮内庁が仁徳天皇陵としてきた「大仙古墳」は仁徳天皇の墓ではありません。この世界最大の墳墓は、506年に64才で亡くなった応神天皇の陵であり、現在「応神天皇陵」とされている「誉田山御陵古墳」は、5世紀初めに亡くなった崇神天皇の陵なのです。

 

そして、古市古墳群は4世紀末に河内に王朝を開いた崇神天皇と崇神系王族の陵墓であり、百舌鳥古墳群は506年に亡くなった応神天皇と応神系王族の陵墓であって、『古事記』が創った架空の天皇たちの陵墓ではないのです。

 

このことについては「古代の地形から『記紀』の謎を解く」及び巻末に入れた年表をご参照ください。

 
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『古事記』は仁徳天皇を応神天皇の息子で、23世紀に在位した仲哀天皇と神功皇后の孫だということにしていますが、23世紀は邪馬台国の卑弥呼がいた時代で天皇家はまだ成立していませんから、仲哀天皇と神功皇后の二人は架空の人物ですし、応神天皇は二人の子でも3世紀の人でもありません。

 

もし「仁徳天皇とされる人」が実在していたとしても、6世紀前半に築造された大仙古墳がその人の墓であるはずはありませんよね(^o^)。これらの古墳群の宮内庁が治定している「○○天皇陵」の○○は、ほとんどが実在しない『古事記』が創った架空の天皇なのです。

 

そんな『古事記』の矛盾だらけで非論理的な作り話を元にした治定をイコモスが納得するはずがないと私は思うのですが、今年登録が決まった「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」と同様に、歴史の真実や論理性などとは関係なく、「これは日本人の信仰なのだから」ということで押し切るつもりなのでしょうか<(_ _)>

 

「北海道・北東北の縄文遺跡群」も「百舌鳥・古市古墳群」も、世界史上での位置づけを論理的に説明すれば、十二分に世界遺産として登録される資格のあるものであり、世界4大文明という歴史観さえ変えうるものだと私は考えているのですが・・・・

 

世界史と縄文文化

 
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でも、カミサマを口実に非論理的な主張する人たちや、それを補強する非論理的な「説」を作る学者さんたちが社会的地位を得ていて、国民が盲目的にそれらを信じて有難がっている間は論理性が価値を持つことはないのでしょうね(T_T)

 
 

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