2017.8.4 「塙」って?66 武蔵野台地の端(はな)55 世田谷七沢八八幡8 八幡山八幡神社2
地図でも航空写真でも八幡山がどこにあるのか分からなかったのですが<(__)>、八幡山グランドの南に「八幡山かまのくち緑地」があったので、そこが八幡山の麓なのかもしれないと思ってまずそこを目指してみました(^o^)。
幹線道路は別にして、台地の斜面の道はどこでも道が細く狭く入り組んでいて、一方通行になっていたり途中から階段になっていたりして、先へ行けるのかどうかが分からないうえに、車を止めたりUターンしたりする場所もなかったりすることが多いのですが、118号線から左奥(北側)に見えていた「八幡山かまのくち緑地」の周辺の道もそのような道でした<(__)>。
その道の様子からも分かるように、やはりここは台地の端(はな)の斜面の下だったようで、この緑地から八幡山グランドに向かって道は上り坂になっていました。この斜面の上が烏山川の流れる谷の上の「八幡山」と呼ばれていた台地の端(はな)だったのでしょう。この八幡山は、グランドが造られたり周辺の斜面が宅地化されたりする前は、もっと起伏の激しい急斜面だったのかもしれません。
この台地の下を東西に走る118号線が南北に走る環八と交差する辺りに「烏山川緑道」の案内板が見えたのですが、赤信号で止まっていた時だったので見に行くことができませんでした(T_T)。烏山川がこの辺りをどのように流れていたのか、この118号線は烏山川が流れていた跡に造られた道なのかどうかは、この案内板を見れば分かったのでしょうけれど(T_T)。
地図で辿ってみると、この118号線は八幡山小学校の下で南東に方向を変え、吉良氏の本丸があった豪徳寺や世田谷八幡に向かっていました。この道が古くからあった道なのであれば、この道は世田谷城と粕谷(烏山?)・八幡山・桜上水に置いた出城を結ぶ世田谷城の軍事道路だったのかもしれません。
蘆花夫妻が「世田谷宿から北に切れ込んで粕谷村に向かった」という道はこの道だったのではないか?と思って118号線を調べてみると、この道は「東京都道118号調布経堂停車場線」で、調布市仙川二丁目交差点と世田谷区の小田急線経堂駅前を結ぶ一般都道であり、現在の渋谷区の道玄坂上から調布市の甲州街道上にある滝坂を結んでいた滝坂道(府中道)の西半分に当たるということが分かりました\(^o^)/。
蘆花が「東京に出るたびに滝坂道を通る」と書いた道はこの道で、やはりこの道は古くからあった道のようです。
ところで、23区内には山らしい山などどこにもないのに、「○○山」という地名がとても多いのですよね。地理音痴の私がちょっと考えてみただけでも、久我山・烏山・浜田山・八幡山・代官山・青山・池田山・島津山・御殿山・西郷山・大岡山・宿山・東山・白山・稲荷山・清水山などなど次々に思い付くほどに(^o^)。
これらはみな、「山」という言葉から一般的にイメージする「登山をするような山」ではなく、洪積台地の端(はな)のことのようです。常陸国(ひたちのくに)では「塙」、総国(ふさのくに)では「花輪」と呼ばれていた洪積台地の端(はな)は、武蔵国(むさしのくに)では「山」と呼ばれていたようです(^o^)。
今週、虚偽の国家神道を子供に叩き込む教育をする学校を造ろうとしていた籠池夫妻が逮捕され、それを実現させようと後押ししていた内閣は国民の支持を失って改造されることになりました。
知らぬうちに次世代の子供たちが非論理的な国家神道で洗脳され、憲法が改正されて、戦前のような自由にものもいえない神懸りの狂気の時代に回帰する前に、国民が不信感を持つようなモロモロの不祥事が発覚したことは、日本にとって幸いだったのでしょうね。
でも、国会議員が改選された訳ではありませんから、国会議員になっている人たちの多くはこれまでそういった国家神道教育を進めようとして来た人たちなのですよね<(_ _)>。
第2次安倍改造内閣は、19人の閣僚のうち15人が「日本会議国会議員懇談会」のメンバーだったそうですし、第3次安倍内閣では、閣僚20人のうち公明党所属以外の19人が神道政治連盟議員懇談会の会員だったのだそうですが、今度の閣僚の中には日本会議や神道政治連盟国会議員懇談会に属している人がどのくらいいるのでしょうね?この改造によって「虚偽の国家神道のためのおかしな忖度」のない論理的な政治を期待することはできるのでしょうか?