2017.8.3 「塙」って?65 武蔵野台地の端(はな)54 世田谷七沢八八幡7 八幡山八幡神社
以前、芦花公園の前を通って「反対側が明大の八幡山グランドだよ」と聞いた時、「山なんか見えないけれど、どこが八幡山?」と思ったのですが、八幡山八幡神社の八幡山ってこの八幡山のことなのかな?と調べてみたら、グランドの東側に八幡山八幡神社があって、その近くには区立八幡山小学校がありました。
ここまでに何度も書いていますが、城跡は役所・公園・公共施設・公立学校・大学などになっていることが多いのですよね。いい場所にあってまとまった広さがある上に、個人が勝手に住みついたりすることのできない土地だったからだろうと思うのですが(^o^)。
八幡山八幡神社は地図ではあまり大きくない神社のようでしたが、この神社と八幡山小学校を含む一帯が城跡なのではないかと考えて行ってみました。
八幡山八幡神社
区立八幡山小学校
粕谷八幡の近くにも、区立芦花小・中学校がありました。芦花公園自体は、蘆花の死後に夫人から寄付された恒春園の周囲を徐々に広げて公園として整えたものだそうですから城跡ではなく、吉良氏がこの地に置いた出城は芦花小・中学校と八幡神社を含む一帯だったのではないかと思います。確かめることはできませんでしたが。
環八からは道の両側に起伏があるようには見えなかったのですが、西側は粕谷八幡神社と芦花小・中学校の方に向かってだんだん高くなって烏山の方に続いているようでしたし、東側は八幡山八幡神社や八幡小学校の方に向かって高くなっていましたから、この「粕谷」という地名は、烏山と八幡山の台地の間の烏山川が流れる谷の名前だったのではないでしょうか。
烏山川がどこをどのように流れていたのかまだよく分からないのですが<(__)>、↓の図を見ると、田川(9)が3本、恒春園(3)の周囲に記されています。恒春園の周りは畑地だったようですし(4)は品川用水ですから、田川というのは品川用水から引かれた農業用水のことでしょうか?(5)は築樋と記されていますが、品川用水はここで谷を越えていたということなのでしょうか?
恒春園と品川用水と築樋と田川