2017.8.1 「塙」って?63 武蔵野台地の端(はな)52 世田谷七沢八八幡4 粕谷八幡
「世田谷七沢八八幡」には吉良氏の出城があったのではないかと推理したので、それらの八幡がどんな所にあるのか行って確かめてみたいと思いました(^o^)。
場所を調べてみると、粕谷八幡神社は芦花公園に、八幡山八幡神社はその東の八幡山に、勝利八幡神社は八幡山八幡神社の東に約1kmの間隔で並んでいることが分かったので、まずその3社に行ってみることにしました。
環八に面している芦花公園の前は何度も通っていたのですが、なんと粕谷八幡神社はその芦花公園の駐車場の隣にあったのですね。ここには徳冨蘆花旧宅と記念館があるので、一度この駐車場にも入ったことがあるのですが、公園に神社があるとは考えてもいなかったので、そこに神社があることには全く気が付いていませんでした<(_ _)>。「視覚を真に司っているのは知識」なのですよね。ここにあることを知って見たら、駐車場に入る前に木に隠れている鳥居がちゃんと見えました(^o^)。
芦花公園の前を通るたびに、この広さは何かの跡地なのだろうか?と思っていたのですが、ひょっとすると吉良氏の出城の跡地なのでしょうか(^o^)。
この神社も正式名称は「八幡宮」のようです。
神社の隣が徳富蘆花の旧宅「恒春園」なので、この神社には徳富蘆花関係のものがたくさん置いてありました(^o^)。
隙間もなく家やマンションが立ち並んでいる現在の様子からは想像もできませんが、蘆花がここに越してきた頃にはこの広い粕谷村には家が26軒しかなかったことなど、100年前のこの辺りの様子がいろいろ分かって興味深かったのですが、まずは本来の目的を・・・・・
ここが城跡なのかどうかは分かりませんでしたが、吉良氏の造った八幡であるなら、境内には高良神社があるのではないか?と思い、拝殿の左奥に見えた社に行ってみると、ここには「地宮 高」と書いてありました。
「地宮」とは何なのかが分からないのですが<(_ _)>、「」の音読みは「らい」ですから、これは高良神社なのではないでしょうか(^o^)。
越中国の一の宮は「高神社」なのですが、大己貴命(大国主命)を祀るこの神社は八幡神とも宇佐神宮とも「本姓・源氏」の吉良氏とも全く関係がありませんから、この八幡宮の境内に造られた「地宮 高」は、「八幡さんの第一伴神」を祀った高良神社であろうと思います。「地宮」というのは、「越中国一の宮とは関係のない、この地の自分たちの氏神を祀っているものである」という意味なのでしょうか???