2017.5.29 「塙」って? 塙と端と鼻
台地の端(はな)といえば、高崎市の岩鼻や群馬県の板鼻町(現・安中市)や千葉市の猪鼻などの「鼻」もやはり台地の端(はな)のことのようです。
千葉市の中心部の標高20mの猪鼻は、中世には千葉氏の居城・千葉城(猪鼻城)があったところで、現在は千葉大学医学部、看護学部、薬学部のキャンパスおよびこれに附属する千葉大学医学部附属病院、亥鼻公園、千葉市立郷土博物館、図書館、文化会館等の公共施設になっていますが、この猪鼻は下総台地から亥の方角に突き出した舌状台地だそうですから、やはり古代には貝塚や古墳が造られ、中世には城が造られた舌状台地の端(はな)だったのです。
千葉城址に建っている郷土博物館の上から南の方向を見ると・・・
千葉城のあった台地の端(はな)である「猪鼻」の崖下に広がる平地は、現在の海までびっしりと建物が続いていますが、古代~中世にはこの平地は海だったのです。この景色は吉田神社から見下ろした崖下の平地とそっくりですね(^o^)。
現在は医学部の構内になっている台地の縁の七天王塚
この説明板には、「猪鼻城の大手口に北斗七星形に7つの塚が配置してあった」と記されていますが、古墳は中世の猪鼻城より何世紀も前の古墳時代に造られたのですから、もしこの塚が古墳なのであれば、城のために北斗七星形に配置されたはずはありません(^_-)。
それではこれらの塚は古墳ではないのだろうかと思って、「千葉大の古墳」を検索してみたら、医学薬学研究棟建設予定地からは前方後円墳が発見されているそうですから、やはり七天王塚は城のために造られて北斗七星形に配置された塚ではなく古墳で、この舌状台地には古墳群があったのです(^o^)。
貝塚や縄文遺跡や古墳群や城跡があり、現在は公共施設や大学になっているこの「猪鼻」は、やはり古くから人が住んでいた海に突き出した舌状台地の端(はな)の「塙」だったようですね。