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「塙」って? 「塙」と「花輪」

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2017.5.27 「塙」って? 「塙」と「花輪」
 
「はなわ」といえば、東関東自動車道の谷津バラ園の近くに「花輪」というインターチェンジがあるのですが、そのI.Cがある所の地名は「谷津」です。私はそこを通る時、「花輪」って何だろう?地名なのだろうか?と疑問に思っていました。
 
普通は駅名とかI.C名は、そこで下りればそこへ行けるということが分かるような名前が付けられていますよね。渋谷とか代々木とか四谷とか新宿とか・・・・でも地図を見てもその付近に「花輪」という地名はないのです。このI.Cから近いのは船橋や谷津なのですが、「花輪」では、谷津や船橋に行くのにここで下りればいいということは土地勘のない人には瞬間的に分かりませんよね。なぜこのI.Cには付近の地名とは関係のない「花輪」という名前が付けられているのだろう?と私は不思議に思っていたのです。
 
このI.Cは谷津干潟のすぐ近くにあるのですが、調べてみたら、ここは谷津遊園があった所で、1982年(昭和57年)に谷津遊園が廃園になったあとも地元の要望でバラ園が残されたのだそうです。でもバラ園があるからI.C名が「花輪」になったとは思えませんから、ひょっとするとここは昔「塙」という地名だったのではないかと思い地形を調べてみました。
 
京成電鉄の谷津遊園駅(現・谷津駅)の南側にあった谷津遊園自体は、大正時代には塩田として使われていた海岸地帯で、埋め立て地だったそうですが、この線路の北側は台地になっていて、京成電鉄はこの台地の裾を通っていますから、ここは大正時代まで海(干潟)に面した台地の端(はな)だったのです。
 
海や塩田には地名はなかったでしょうから、古くから陸地だった線路の北側の台地の端(はな)の地名が「塙」で、地名としては違和感のある「花輪」はフラワーリングではなく、「塙」の当て字なのではないでしょうか(^o^)
 
現在は台地の上も「谷津」という地名になっていますが、台地の上が谷津であったはずはありませんから、これは、谷津遊園の跡地が住宅地になってからの行政区割りの地名であろうと思います(^o^)
 
地理音痴の私は、この「花輪I.C」を地図上ですぐに探すことができなかったので<(_ _)>、「千葉・花輪」で検索してみたら、I.Cからかなり離れた「千葉県千葉市中央区花輪町」が出てきたので、この「花輪」もフラワーではなく地形を現す「塙」なのではないかと考え、ついでにここの地形も調べてみたところ、ここもやはり周囲より小高くなった標高20m~30mの台地の端(はな)でした。「花輪」はやはり台地の端(はな)の「塙」のことのようです(^o^)
 
ところで先日テレビで、最近茨城が外国人観光客に人気になっていると聞いて、「なんで?どこが?」と思ったのですが・・・・・


茨城空港が出来てアクセスが良くなったということも一因のようですが、ひょっとすると、聳え立つ高山も深い渓谷もなく、火山がないから名湯も無いし、誰でも知っているような有名観光地もないけれど、虫麻呂が『常陸国風土記』に「常世の国のようだ」と記した豊かな穏やかさが見直されてきたのかもしれませんね(^o^)
 
牛久出身の稀勢の里は残念ながら休場になってしまいましたが、今場所活躍している高安も常陸国の土浦出身です。「常陸の時代」が来たのかな(^o^)
 
一月の優勝旗
 
イメージ 1

5月の優勝旗
イメージ 2

 
残念ながら高安は今日負けてしまい、五月場所の優勝者として名前が記されるのは白鵬に決まったようです。白鵬は全勝して優勝に花を添えることができるかな?




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