2017.5.22 地図・地質と筑波
地図といえば、筑波には「地質標本館」や「地図と測量の科学館」があり、このところ人間の歴史よりも地球の歴史の方に目が向いていたこともあって、地図や地形や地質絡みで筑波周辺に出かけるようになっていたのですが、地球の成り立ちや歴史を探っているうちに、筑波周辺にたくさんある古代の遺跡や中世の城跡が相互に因果関係で繋がってきて、ニンゲンの歴史についてもいろいろなことが分かってきたのです(^o^)。
多気太郎から多気城と藤沢城・小田城の関係や、常陸大掾となって常陸に土着した平氏(平国香の子孫たち)が石岡周辺から関東一円に支配地を広げていって多気氏や吉田氏や鹿島氏や行方氏などになっていったことや、その平氏と争っていたのが鹿島を中心に崇神天皇の時代から常陸に根を張っていた中臣氏や、常陸の武田郷や佐竹郷に土着して武田氏や佐竹氏となっていた源氏(新羅三郎義光の子孫たち)だったことなどなど・・・・・・
それらは全て、そういった結論を出すために調べていたわけではなく、疑問に思ったことの因果を辿っているうちに一本の糸となって混沌の中から浮かび上がってきたものだったのですが(^o^)。
地球の歴史の方に目が向いたのは、「カミサマが7日間で全てのものを造った」だとか、「イザナミが日本列島を生んだ」だとかといった子供の頃に聞いて納得できなかった地球や日本の成り立ちに論理的な納得できる説明があったからなのです(^o^)。
荒唐無稽な神話の観念的なつじつま合わせの解釈に基づいた博物館や歴史館の展示や解説よりも、観察や観測や分析などの事実に基づいた展示や解説がされている科学博物館や「地質標本館」や「地図と測量の科学館」や自然博物館や天文台などの方が私にはずっと面白いし興味があるのですが、そういう場所にはいつもたくさんの固定観念にとらわれていない好奇心にあふれた子供たちがいるのですよね(^o^)。
子供は、直感的に納得できないことには必ず「なんで?」と言いますから、人間は本質的には論理的な生き物なのではないかな~と思うのですが(^_-)、そんな子供たちの好奇心や疑問を感じる心を、荒唐無稽な作り話の神話や理不尽な教育勅語を有無を言わせずにすり込もうとしていた森友学園の「神道に基づく教育」のようなものや、観念的な道徳教育で評価する新指導要領などで潰さないでほしいものです<(_ _)>。
でもそれらのことはさておいて、この季節の筑波周辺は、虫麻呂が『常陸国風土記』に「昔の人が常世の国と言ったのは、こういう国なのではないか」と記したように本当に気持ちがいいところなので、春になると「ウグイスが鳴き、山笑う」筑波周辺に出かけたくなるのですよね。最近はさらに「地質標本館」や「地図と測量の科学館」や「実験植物園」や中世の城跡探訪などが加わってきたのでますます楽しみになってきています(^o^)。
女体山のロープウェー駅から平沢官衙方向を見る
画面中央の低い山の向こう側が平沢官衙で、こちら側の水田は、虫麻呂が筑波の歌垣に参加した頃には海で、「鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の 其の津の上に・・・・」と歌った裳羽服津(裳萩津)であり、筑波の歌垣はこの津の上の筑波の麓で行われていたのです。
向こう側のピークは男体山の頂上