2017.5.18 茨城県自然博物館と菅生沼
私の歴史探訪は、荒又宏著『帝都物語』を読んで、書かれていることのどこまでが史実でどこからがフィクションなのだろう?と興味を持ち、大手町の首塚や神田明神など小説に出てきたところを確かめに行ってみたことから始まったのですが(^o^)、その頃に岩井には将門の胴体を埋めたという胴塚のある延命院や、将門の石井の営所跡や、将門を祀る国王神社などがあることが分かってきたので、2007年にそれを確かめに岩井へ出かけてみました。
将門の胴体を埋めた延命院
将門を祀る国王神社
その時に延命院の近くにあった一言主神社や菅生沼にも行ってみたのですが、菅生沼には対岸まで橋が渡してあって、橋の上からは周囲に人工物がほとんど見えず、広い空と緑と水がとても気持ち良かったことを思い出して、久しぶりに菅生沼に行ってみようと思い立ったのです(^o^)。
歴史は部分部分のつじつま合わせで成り立っているのではなく、全部が流れとして繋がっているので、気の向くままに現代の歴史に繋がる将門の足跡を辿っているうちに必然的に古代の歴史につながっていき、それがさらに人類の発生や地球の誕生にまで繋がっていって『古事記』のウソが見えてきてしまったのです。
2007年には、ここでウソの群れやタヌキの屍骸や草むらを走るテンを目撃し、水に頭を突っ込んで餌を探していたコハクチョウの頭がみな赤茶色になっているのを見て、この沼は鉄分が多くて葦の根には褐鉄鉱の玉がスズナリになっているのではないか? 将門はその鉄で開墾のための農具や武器を作ったのではないかと考えたりしました(^o^)。
台地の上の「あすなろの里」で開かれていた地元の物産展(?)でカラシナの漬物を買ったのはこの時だったのですよね。
今回久しぶりに行ったら、以前より水面がずいぶん小さくなっているような気がしました。この沼もかつては台地と台地の間に入り込んでいた海だったに違いないと考えていたのですが、自然博物館のある台地の上からは橋の周囲にあまり水面が見えなくなっていたので、かつては海だった関東平野も、海面が下がるにつれてだんだんに干上がって行き、そこに土砂が堆積して葦の茂る湿地になって陸地化していったのだろうなと関東平野が海退によって広大な平野になっていった過程を見ているような気がしました(^o^)。