2017.5.8 鹿島神宮の宮司は中臣氏?鹿島氏?17 沖ノ島
「沖ノ島が世界遺産に登録される見通しとなった」そうですが、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺跡群」として申請したものの半分は「世界的な価値を認められない」として除外されたそうで、除外の理由は「信仰・伝統は日本の国家的価値にとどまるものであり、世界遺産にふさわしい普遍的価値が見いだせない」ということなのですが、現状では妥当な意見だと私は思います。
沖ノ島の「世界遺産」としての価値は、人類の歴史に普遍的な考古学上・人類学上の遺跡や歴史にあるのであって、日本だけでしか通用しない後付けの人為的な信仰や伝統といった「神話に基づくナショナル・アイデンティティ」にあるわけではないのに、除外された遺跡群と「沖ノ島」の関連を文化庁も学者さんたちも根拠のないあやふやなこの「ナショナル・アイデンティティ」でしか説明することができないのですから<(_ _)>。
沖ノ島
図録「宗像 沖ノ島の神宝」
宗像神社が祭神としているのは7世紀に『古事記』が創った神話の登場人物の「宗像三女神」ですから、オハナシ(創作)のカミサマと実際の遺跡との間に関連などあるはずもなく、学者さんたちの「・・・とすればよい」というような非論理的なつじつま合わせや、宗教関係者の「よく分からないままふわっとしておいたほうがいい」というような非科学的な論理ではイコモスを説得することはできないだろうと私は思います。
1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産に登録された法隆寺も、「世界最古の木造建築を含む仏教建造物は、設計と装飾美において人類の創造的才能を表す傑作であること」・「法隆寺地域には7世紀から19世紀までの各時代の優れた仏教建造物が残されていて、それらから日本と中国、東アジアにおける密接な建築上の文化的交流がうかがわれること」などの考古学的な価値や人類史上の価値が評価されたのであって、「架空の聖人である聖徳太子のオハナシ」や日本人の一部が信仰する「太子信仰」などの日本でしか通用しない「ナショナル・アイデンティティ」が世界遺産としての価値を認められたわけではないのですよね。
「新しい教科書をつくる会」は「厩戸王」を「聖徳太子」に戻したことを「大勝利」としていますが、「厩戸王」は実在した欽明天皇の孫(用明天皇の息子)のアメノタリシヒコの存在を歴史から隠すために用明天皇の息子として創られた架空の人物であり、「聖徳太子」はその架空の「厩戸王」に8世紀に淡海三船が付けた諡(おくりな)なのですから、「聖徳太子」と「厩戸王」は同一人物で、どちらも架空の人物なのです。つまり、どっちでも同じことなのですが、「聖徳」と「厩戸」では印象が全く違い、「厩戸」では有難味がないから戻すことができたことが大勝利だということなのでしょうけれど(^_-)、戻せたからと言って「聖徳太子」の実在が証明された訳ではないのです。
この時代に大王(天皇)として実在したのは、欽明天皇の孫で用明天皇の息子だったアメノタリシヒコで、推古天皇も摂政の聖徳太子も架空の人物なのですから、聖徳太子(アメノタリシヒコ)の肖像というのであれば、法隆寺が秘仏としている12世紀に造られた像ではなく、アメノタリシヒコ(上宮法皇)と同時代を生きた止利仏師が、その上宮法皇への思いと祈りを込めて等身大に造り、そのいきさつを光背に刻んだ釈迦三尊像が、上宮法皇(アメノタリシヒコ)の肖像(に近いもの)であろうと私は思います。
学者さんたちはこの銘文の「上宮法皇」を聖徳太子だと解釈しているのですが、この銘文には「聖徳太子」とも「厩戸王」とも記されてはいないのです。