2017.5.6 鹿島神宮の宮司は中臣氏?鹿島氏?15
「自転車くま」さまから
聖徳太子復活は、慎重であるべきだったと思います。
以前、聖徳太子は、日本政府の信頼に関わる問題札、千円札の代名詞でした。
その肖像画は中国にあって、その盗用と分かり消えて行きましたが、そんな恥の上塗りをするのでしょうか。日本政府の信頼に関わる問題でもあるのです。
とのコメントを戴きましたが、盗用が分かったのは一万円札から肖像画が消えた時だったのでしょうか?
以前「2008年に日本書記と聖徳太子の捏造は証された筈です」とのコメントを戴いた時、2008年に分かったのかと思ったのですが、
一万円札から聖徳太子が消えたのは1984(昭和59)年でした。盗用が分かったのは1984年だったのでしょうか?教科書にはいつ頃まで「聖徳太子の肖像」が載っていたのでしょうね?一万円札から聖徳太子が消えてからも教科書には載っていたのでしょうか?
教科書での扱いはどうなっていたのだろう?と疑問に思って調べてみたら、今回「厩戸王」を撤回させるために「新しい教科書をつくる会」が作った呼びかけの文書が出てきたので読んでみました。
これによると、「約20年前に歴史学界の一部で『聖徳太子虚構説』なる学説が唱えられたことがあるが、その説は学問的に否定されて過去のものとなっている」のだそうです。
私は20年前には全く興味がなかったので、その説も否定された根拠も知らないのですが<(_ _)>、周回遅れで10年くらい前(?)に漫画の「日出処の天子」を読んで興味を持ち、「聖徳太子って本当はどんな人だったのだろう?」と調べ始めてみたら、架空の人物であったことが分かってきたのですが(^o^)。
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「聖徳太子虚構説」とそれが学問的に否定されたということについては、「聖徳太子を抹殺する理由として、聖徳太子という名は100年後に創作されたものであるから聖徳太子なる人物は実在しなかったと主張されているが、歴代天皇の名も謚(おくりな)で呼ばれるのが慣例だから、この虚構論の筆法では歴史上のすべての天皇が存在しなかったことになり論理的に破綻している」というのが「新しい教科書をつくる会」の主張のようですが、架空の人物にも実在の人物にも諡号を付けることはできるのですから「諡号」そのものは実在の証拠にも非実在の証拠にもなりませんよね。諡号が実在・非実在の争点だったのであれば、聖徳太子虚構論もその否定論もなんの意味も無いと私は思うのですけれど・・・・。
諡号を持つ天皇にも神武天皇など欠史八代の天皇を始めとして架空の天皇がたくさん混じっているのですが、「新しい教科書をつくる会」はそれらの天皇も実在したと主張しているのでしょうか?そもそも紀元前600年頃は神代ではなく弥生時代で、日本にもそれ以前の旧石器時代からたくさんのヒトが住んでいたのですから、その頃にカミサマが初めてニンゲンの天皇になった」というオハナシ自体が論理的に破綻しているのではありませんか(^_-)。
20年前の「聖徳太子虚構説」もそれを否定した説も、歴史の因果を論理的に辿ったものではなく、「クリティカルシンキング」や「アクティブラーニング」に耐えられるものではなかったようですが、「新しい教科書をつくる会」は、何が何でも『記紀』のウソを信じさせたいようですね<(__)>。