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鹿島神宮の宮司は中臣氏?鹿島氏?12

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2017.4.28 鹿島神宮の宮司は中臣氏?鹿島氏?12

 

先日の新聞に3月末に公表された新学習指導要領に関して「育て 批判的な思考力」という記事があったのですが、この記事によると、教育改革の目玉の一つとみられていた「アクティブラーニング(能動的学習)」という言葉がこの新学習指導要領からは消えて「主体的・対話的で深い学び」という言葉に置き換えられているのだそうです。

 

この改訂は、従来のような知識の詰め込み教育では世界水準の人材育成はできないということで、学びの質の転換を目指すための改訂だったのだそうですが、中でも欧米に後れを取っているのは批判的な思考力(クリティカルシンキング)で、これを育成するためには、書かれた内容を鵜呑みにするのではなく、その内容や論理展開を批判的に読み解き、自分の知的創造の糧とするような「批判的読書」が必要であり、欧米のハイレベルな大学では、この批判的読書が主体的学びを支える基盤だと考えられているのだそうです。

 

なるほど、無批判に丸暗記させる日本の教育とは真逆のようですね。


例えば歴史学者さんたちは、非論理的で非科学的な『記紀』を批判的に見るどころか鵜呑みにして信奉し、さらに非論理的で非科学的な論法を使ってつじつまを合わせる解釈をしてきたわけですし、子供たちは教科書に記されたその非論理的な解釈を事実として丸暗記させられてきたのですから<(_ _)>

 

「批判的読書ができれば主体的に学びを進めることができ、同時にそれができて初めて主体的学習者になることができる」のだそうですから、教科書や学説を信奉し、その内容を無批判に丸暗記することが勉強だと考えている限り、主体的学習者になることはできないというわけですね(^_-)

 

『記紀』や既存の学説に疑問を持って謎解きをしてきた私は、期せずして「批判的読書」をやってしまっていたということでしょうか(^o^)。納得できないから鵜呑みにできなかっただけで、けっして初めから批判的に見ていた訳ではなかったのですが、いつのまにか疑問を解くために自分で調べ、自分で考えるという主体的学習者になっていたようです(^o^)

 

りっぱな肩書きをお持ちの学者さんたちを始めとして、みんなが何の疑いもなく信じているらしい諸説に私は納得できなかったのですが、でもそれらの説を批判するどころか、納得できないのは自分に歴史の知識が足りないせいで自分が悪いのだと思っていたのです。

 

ところが納得するために行きがかりで疑問の答えを探す主体的学習者になったら、『記紀』や学説は「うそばっか」だということが見えてきてしまいました<(_ _)>

 

そのために最近は『記紀』を元にした歴史解釈や解説を見る眼が批判的になってしまい「人が悪くなってきた」ような気がしていたのですが<(_ _)>、これはひょっとすると「内容や論理展開を批判的に読み解くクリティカルシンキングが身についてきた」のだと肯定的に考えてもいいのかな(^_-)???

 
 

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