2017.3.9 宇佐神宮37 アマテラスは男だった!!5
華族制度が廃止された後も名前を変えて存続しているという「霞会館」とはどんなものなのだろう?と調べてみたら、旧華族の末裔が集う社交場だそうで、会員資格は元華族の当主並びに成人に達した後継の男子のみで、一般人はもちろんのこと華族であっても女性には資格がなかったのだそうです。それではなおのこと、今でも「女は入れない」という人たちの先祖が古代に天皇家の祖として創ったアマテラスが女だったはずはありませんよね~
ところで、つい最近「女は会員になれない」という、同じような話を聞いたような気がしたのですが、東京オリンピック関連で一時ニュースになっていた「霞が関カンツリー倶楽部」の話だったことを思い出しました。
女は正会員になれないとか、女は日曜日にはプレーできないとかの規則がオリンピック精神に反するということで問題になっていたと思うのですが、その後どうなったのでしょうね?
「霞が関カンツリー倶楽部」は1929年にできたゴルフ場だそうですが、その頃にゴルフをしていたのは皇族や華族くらいでしょうし、現在の正会員もその人たちの子孫のようですから、名前も構成員も規則もよく似ている霞会館と霞が関カンツリー倶楽部は同根のようですね。
wikipediaによれば、
ジャーナリストの大宅映子会長以下、ゴルファーやゴルフ愛好家の有識者が作る日本ゴルフ改革会議は、同カントリークラブを選定したプロセスの説明が全く不十分である点や、東京からのアクセスの悪さなどを指摘した上で、他の競技会場とも近く、誰もがプレー可能なパブリックコースで、実際に2016年東京オリンピック構想ではゴルフ会場予定地とされていた(東京都江東区若洲三丁目の若洲海浜公園内)を推す提言を2014年10月にまとめた
のだそうですが、その提言は完全に無視されたようです<(_ _)>。
豊洲移転が決まったプロセスも不透明なようですが、森友学園が格安で国有地を取得したプロセスにしても、若洲ゴルフリンクスからいつの間にか「霞が関カンツリー倶楽部」に変わってしまったプロセスにしても、誰がいつどうしてそう決めたのか、不透明なことばかりのようです<(_ _)>。ひょっとすると一般人を排除した霞会館や霞が関カンツリー倶楽部で、仲間内で話を進めていたのでしょうか。
森友学園の疑惑はますます増大しているようで、耳を疑うような籠池氏のウソが次々に明るみに出てきているようですが、それでも自民党が参考人招致に反対しているのはなぜなのだろう?同じ穴のムジナが不透明なそのプロセスが露わになってしまうことを恐れているのかな?と疑いたくなってしまいますよね<(_ _)>。
昨日は「国際女性デー」ということで、様々な権利を求めて行進する女性たちの映像が流れていましたが、これは裏を返せば、現状は人間として同等ではないからそういう特別な日を定めてアピールしなければならないということですよね。
やはり女を人間として同等とは考えていなかった人たちが作ったアマテラスは女ではなく男だったのでしょう。『古事記』は男としてアマテラスを作ったのに、本居宣長の『古事記伝』のせいで不本意ながら女だということになってしまったのではないでしょうか(^_-)。
東海道神奈川宿の洲崎神社
地名は古代の地形を表していますから、今は内陸になっている洲崎神社も古代には海際だったのではないかと考えていたのですが、やはりそうでした\(^o^)/。参道の先(現在は第一京浜)が船着き場だったそうです。
洲崎神社
↓の海に突き出しているのはお台場で、左側の麓に洲崎神社のある権現山は、幕末にこのお台場を造るためにかなり削られてしまったそうですが、今でもかなり急坂の権現山は削られる前は険阻な山だったのだそうです。だから街道は山裾の海際を通っていたのですね。