2017.3.7 宇佐神宮35 アマテラスは男だった!!3
それでは、「国家神道」をデッチあげ、江戸時代まで男だったアマテラスを最高神の女神に仕立てた神祇官とはどういう人たちだったのかというと『古事記』のカミサマを祖神として神主を世襲してきた人たちだったようです。
その人たちが、明治の王政復古に乗じて「国家神道」をデッチ上げてお手盛りで貴族になったようで、伊勢神宮の荒木田家・河辺家、同外宮の松木家、阿蘇神社の阿蘇家、宇佐神宮の到津家・宮成家、日御碕神社の小野家、物部神社の金子家、日前・国懸両神宮の紀家、出雲大社の北島家・千家家、熱田神宮の千秋家、住吉大社の津守家といった神職が男爵になったのだそうです。
先日「宇佐の神様は常に権力のある所に出張していた」という記事から、
権力や権益のニオイに敏感で機を見るに敏であり、最も世俗的だったのは神職と僧だったようだと考えたのですが、「機を見るに敏」だったという宇佐神宮の神職もこの機を逃さず男爵になっていたのですね。
神職がお手盛りで華族になったこの時には、神祇官による廃仏毀釈で劣勢になっていた僧も黙ってはいなかったようで、僧職のうち血縁によって職を世襲していた浄土真宗木辺派管長木辺家、同渋谷派管長渋谷家、同高田派管長常盤井家、同興正派管長華園家など18家が男爵になり、東西本願寺の大谷家は伯爵になったのだそうです。
廃仏毀釈を過激にやり過ぎたからか(?)神祇官は明治4年に神祇省に格下げされてしまい、明治5年にはこの神祇省も廃止されて、神祇省が担当していた祭祀業務は宮内省式部寮が行うことになり、国民教化(国民の洗脳?)のための専門機関として教部省が設置されたそうですが、これもうまくいかず明治10年に廃止されてしまったのだそうです。この頃「機を見るに敏」な神祇官たちは、宮内省式部寮や教部省に入っていたのでしょうね。
その後、全国の神社の管轄は昭和21年に設立された「宗教法人神社本庁」に引き継がれたのだそうですから、この時神祇官の子孫たちは「神社本庁」に入ったのではないでしょうか。神社本庁や神社の関係団体だという「国民会議」や「神道政治連盟」を主導している人たちは、明治の王政復古に乗じて「自分たちは神の子孫だとする国家神道」をデッチあげて華族になった神祇官の子孫でしょうか(^_-)。
この華族制度は昭和22年に廃止になったそうですが、華族の社交のために1874年(明治7)に東京都千代田区永田町に創立された華族会館は、霞会館と名前を変えて現在も存続しているそうです。すると、「神社本庁」・「国民会議」・「神道政治連盟」の目的は、国民を幼児期から「国家神道」で洗脳し、再び明治時代のような特権階級になりたいという「明治の夢よ もう一度」ということなのかもしれませんね<(_ _)>。
東海道川崎宿
「旧東海道」が表示され、交流館が出来て、川崎の歴史や変遷や宿場町のジオラマなどが展示されていました。
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江戸時代の街道の様子
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街道沿いに一列に家が並び、その後ろは水田や湿地だったようですが、大正時代から京浜工業地帯の埋め立てが進み、
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現在は、街道の周辺は↓のように家やビルで埋め尽くされて海は街道からずっと遠退いてしまっています。
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