Quantcast
Channel: 歴史探訪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

宇佐神宮16 道鏡と弓削2 由義寺

$
0
0
2017.2.13 宇佐神宮16 道鏡と弓削2 由義寺
 
宇佐神宮神託事件について考えてみたのは2014年のことだったので、弓削へは行がなかったのですが、2015年に法隆寺へ行った時、早朝に信貴山の十三峠の上から西の方を眺めて、やはり大阪平野は東征の頃には生駒山や信貴山の麓まで海だったのだと確信しました(^o^)
 
2015年に十三峠の上から見た八尾市方面
イメージ 1

 
この日は、夜にホテルのバスによる十三峠から大阪の夜景を見るナイトツアーがあったので、暗い中で現在の海まで続く光の海を見れば、信貴山の麓まで迫っていた古代の海が実感できるのではないかと思って参加してみたのですが、この時の写真は残念ながらピンボケになってしまいました(T_T)
 
イメージ 2


弓削神社の辺りは標高1314m位のようですから、弓削皇子の領地となった7世紀頃には陸地(豊かな平野?)になっていたのでしょうね(^o^)
 
2012年の大阪探訪の時に行った「玉祖神社」と「心合寺山古墳」があったのも八尾市だったのですが、その時は八尾市や弓削に関する知識がなかったうえ資料館が休館日だったこともあって、八尾市の資料は何も入手できなかったので、そこが八尾市であることを認識していませんでした(T_T)
 
心合寺山古墳
イメージ 3

イメージ 4

 
玉祖神社
イメージ 5

 
今にして思えば、玉祖神社から見下ろしていた所が八尾市だったのですね(^o^)。ここに行った時は、ここの地名が「神立」であることの方に関心が向いてしまっていたのですが。
 
イメージ 6

イメージ 7

 
そういうわけで弓削神社や由義神社へは行っていないのですが、道鏡は天武天皇の子孫で応神系の王族だったのではないかという推理には、物証も出てきているようです\(^o^)/。
 
大阪府八尾市で、『続日本紀』に道鏡の氏寺の由義寺(弓削寺)があったと記されている付近から8世紀後半の瓦が大量に見つかり、その瓦の模様は東大寺や興福寺のものと同じだったという記事が去年の秋に新聞に載っていたのですが、王族でもない一介の僧が「氏寺」を持っていたり、その私寺に東大寺や興福寺と同じ瓦を使ったりできたはずはありませんよね(^o^)
 
イメージ 8


そして先日の新聞には、由義寺跡とされている八尾市の東弓削遺跡で、高さ6070mの七重塔だったと思われる120mの塔基壇が見つかったといういう記事が載っていました。この基壇の大きさは、薬師寺東塔(113.4m)を上回り、各地の国分寺の七重塔と同規模だそうです。

イメージ 9


11日に現地説明会があったようですが、どんな説明だったのでしょうね。やはり「怪僧・道鏡が称徳天皇をたぶらかして造ってもらった寺である」という説明だったのでしょうか?


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1389

Trending Articles