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穂高神社と安曇野151 安曇族(海人族)89 阿衡事件

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2016.12.14 穂高神社と安曇野151 安曇族(海人族)89 阿衡事件

 

飛鳥時代や奈良時代には、大津皇子を始めとして、藤原氏にとって邪魔になりそうな天武天皇の子孫たちはみな殺されてしまい、その後も他戸親王、早良親王、伊予親王らが殺されたり自害に追い込まれたりしましたが、この時代になるとさすがに片端から殺してしまうということはなくなっていたようで、藤原氏にとって邪魔になりそうな皇子たちは出家させられていたようです。あまりにも怨霊(藤原氏を恨む人たち)が増えすぎてしまったからでしょうか。

 

『陰陽師』には、私がまだ知らない藤原氏を恨んで死んだ人たちの怨霊が他にもたくさん出てくるようですから、この時代には他にもたくさんの権力争いや陰謀があったようですね(T_T)

 

この祐姫さんも怨霊のようですが、祐姫って誰なんだろう?

 
イメージ 1

大怨霊の道真は、この祐姫には「めそめそ詩を作っているオヤジ」と言われていました(^o^)。う~ん、そういう見方もあるか~。

 

斉世親王の母は藤原氏ではなく、宇多天皇が即位した時に阿衡事件で基経が難癖をつけた橘広相の娘の橘義子で、義子はこの時すでに斉世親王を産んでいたのです。基経は執拗に広相を遠流(おんる)に処するように主張していたそうですから、それでは基経が阿衡事件を起こしたのは、義子が産んだ斉世親王が皇太子に立てられて橘氏が外戚になるのを阻止するためだったようですね。

 

基経・高子兄妹の藤原氏同士の権力争いから、高子の子の貞保親王を天皇にしたくない一心で基経が強引に立てた光孝天皇の第7皇子・定省王(宇多天皇)の母は藤原氏ではなく、仲野親王(桓武天皇の皇子)の娘の班子女王だったそうですし、「源定省」時代の宇多天皇自身も藤原氏の娘ではなく、橘広相の娘や菅原道真の娘を妻にしていて息子も生まれており、藤原氏との姻戚関係はなかったようです。

 

まさか光孝天皇の第7皇子で、しかも臣籍降下していた「源定省」が天皇になる日が来るとは予想もしなかったから、基経は可能性のない源定省とは姻戚関係を結んでいなかったのですね。宇多天皇が藤原北家と距離を置こうとしたのは「源時代」に藤原氏に冷遇されてきたからだったのかもしれません。

 

ところが、その源定省が天皇になってしまったのですから基経はあわてたでしょうね。そこで「阿衡事件」を起こして斉世親王の祖父の橘広相を追い落とす一方で、本当の実力者は誰なのかを天皇に思い知らせて圧力をかけ、自分の娘の温子を強引に入内させたようです。


でも、それから温子に皇子が生まれるのを待っていたのでは立太子に間に合いませんよね(^_-)。宇多天皇にはすでに敦仁親王・斉世親王という息子がいたのですから。

 

そこで、基経は宇多天皇が臣下の「源定省」だった時代に生まれていた第一子(敦仁親王)を強引に入内させた娘の温子の猶子にし、娘を第一皇子の養母に仕立てた上で中宮に立て、温子の異母妹の穏子を敦仁親王の女御として入内させるというウルトラ荒技で、あっという間に醍醐天皇、醍醐天皇の子の朱雀天皇、その同母弟の村上天皇の外戚の地位を確保してしまったようです。

 

そして、陰謀によって斉世親王の義父の道真を遠い大宰府へ左遷し、1歳違いの斉世親王を出家させてしまったというわけですね(T_T)

 

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