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穂高神社と安曇野150 安曇族(海人族)88 斉世親王

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2016.12.13 穂高神社と安曇野150 安曇族(海人族)88 斉世親王

 

道真が大宰府に左遷されたこの陰謀で斉世親王は出家し、宇多天皇が開基した仁和寺に入って真寂と名乗ったそうですから、この親王も藤原氏の陰謀によって出家させられてしまったのですね<(_ _)>

 

でも仁和寺は、宇多天皇が出家後に伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、「御室御所」と呼ばれていたそうで、「御室」の旧地には現在「仁和寺御殿」と称される御所風の建築群が建っているそうですから、出家したといっても世捨て人になって清貧に暮らしていたというわけではないようです。

 

宇多上皇にしても俗世と縁を切ったわけではなく、いろいろと手出し口出ししていたようですし、御室の僧坊は「御所」だったのですから、「天皇」という名前ではなくなったというだけで、暮らしぶりなどは天皇時代と変わらなかったのではないでしょうか。「君に忠、親に孝」の儒教では、「天皇の父」は天皇より立場が強いようですし、俗世を離れたことにすれば、藤原氏とのしがらみは解消され、傀儡からも解放されたのでしょうし。

 

韓国歴史ドラマには「王の母」が理不尽な我意を通す場面がよく出てきましたが、「聞き入れてくれないなら飲食を拒否する」と言われるとどんなに理不尽であっても最終的には王が折れるしかなかったようです。それを放置すれば親を見殺しにする人非人として集中砲火を浴び、徳のない王・失格者のレッテルを貼られてしまったようですから(T_T)

 

こういった韓国歴史ドラマの展開は、儒教の考え方を知らなかった私には、初めは理不尽で息苦しいばかりで理解しがたかったのですが、何が正義かは絶対的なものではなく、その基準や運用はその時々の権力者の都合や考え方によっていたようですから、これも一種のカルチャー・ショックだったのでしょうね。

 

儒教では、王にはなれない女が望める最高の権力の座は、王妃になることだったようですが、王の妻(王妃)でいる間は王の支配下にいるしかないわけです。けれど、王の母になれば儒教をたてに王を支配できるのですから、陰謀を巡らせ、競争相手を陥れて首尾よく王妃になれたなら、次には何が何でも(例え夫の王を殺してでも)息子を王にしようとしたということのようです<(_ _)>

 

そんなことが延々と繰り返されてきたのも儒教の弊害なのでしょうね。韓国では現在の大統領制を見直す憲法改正論も出ているようですが、確かに今のままでは新しく大統領に選ばれる人も任期の終わる5年後には同じような運命を辿ることになりそうですが<(_ _)>

 

「天皇の父」だった宇多上皇は、儒教のおかげで大きな力を持っていたのかもしれませんが、出家させられた斉世親王は「天皇の父」にはなれなかったのですから、なんの権限もなかったのかもしれません。けれど、藤原氏の権力争いに利用されたり巻き込まれたりすることはなくなったわけですから、親王だった頃よりも自由で平穏で幸せだったかもしれませんね(^_-)。まあ、何をもって幸せと考えるのかにもよるのでしょうけれど。

 
 

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